あれからもう1年経った。
70歳バースデイコンサートライブからだ。
そしてもう一つ。もうこんなに時が経ったんだ、と思えること。
あのニュージャパンだ。
奇しくも意識せず、同じ2月8日だった。
僕等がマネージャーである榊原さんを失い、それから僕がナターシャーを去るきっかけとなったあの出来事。
あの日、七人の会(事務所)にみんなで集まって、何を話していたのか、気分的にはほぼ無言であったのかもしれない。
ハワイに行っていた高石さんを僕とスタッフの一人とで迎えに行った。
伊丹空港から京都までの帰り道、こちらも無言だったと記憶している。
あまり詳しくは書けないし、よく覚えていない部分もあるが、とに角ナターシャーセブンの歴史がこの日を持って一旦閉じたことは確かだ。
僕が抜けてアメリカに旅立ったのはその後、2年弱経ってからだ。
榊原さんという人は間違いなく日本でトップクラスのマネージャーであった。
多くの人が同じことを言っていたので、僕一人の感覚ではないはずだ。
とりわけ、僕にはとても良くしてくれたと感じる。
よく「あんさん、酸っぱいもの食べなさい」と言っていたので、未だに酸っぱいものを食べると彼のことが頭に浮かぶ。
確かに僕はあまり酸っぱいもの、酢の効いた物とか夏みかんとか…お~書いているだけで酸っぱくなってきた…余り好んで食べない。
彼はいつも都こんぶを持ち歩いていた。そして「あんさん、ひとつどうですか」と言っては僕に食べさせたがった。
そんな都こんぶのパッケージは僕にとっては彼そのものかも。
ステージで着る衣装もよく買いに連れて行ってくれたが、自分もあれやこれや買っていたのでもしかしたら口実だったのかもしれない。
事務所の近くにピグモンみたいなおばちゃんが(まさかこれ読んでいないだろうな)やっていたちょっとおしゃれな洋服屋さんによく二人で出掛けて行ったなぁ。
出会った時の彼は80キロを優に超える体格だったが、折からのジョギングブームをいち早く取り入れた結果20キロくらいの減量に成功していた…が、お腹だけはなかなか引っ込まなかったなぁ。
それでもちゃんとフルマラソンも走っていたし、何事にも全力で取り組む人だった。
僕にとっての榊原氏というのは良い想い出、しかない。ということは何故かすごく気が合ったんだろうな。
ひとつ想い出した面白い話があった。
ある日、確か大阪のサンケイホールの楽屋で僕と省ちゃんがマンドリンを弾いていた時の事。
いつも使っていたギブソンのF-5のピックガードを、その日はたまたま外していたのだが、そこに榊原氏が入ってきて「お、お二人さん、今日は違うマンドリンですか」っていうじゃないですか。
しかもそれだけ言って出ていったので、僕と省ちゃんとはしばし、あっけにとられて顔を見合わせて「あれ、意外とよく分かっているのかもしれない」と感心してしまった。そんなことがあった。
他にも想い出せばいろいろなエピソードがあるけど、こんなところにしておこう。
2月8日、なんだか僕にとっても大切な日なんだなぁ。