よく言われていることだけど、音を楽しむと書いて音楽…ってめちゃ日本人好みの理屈。
勿論楽しいことでもある。
僕は4歳からピアノを始めた。理由は2歳年上の姉がやっていたから。それだけだった。
ただ、みるみるうちに姉とは全く違う方向に向かって行ったらしい。
あまりに幼いころだったのではっきりした記憶はないが、かなりの異端児だったということだ。
そしてそののめり込み様は他に類をみないものだったらしい。やがてフォークソングに目覚めてピアノからの知識を全てギターとバンジョーに生かした。
特にバンジョーは周りに弾く人が居らず、それだけに面白さが増し、そしてやっぱりブルーグラスだよな!と京都産業大学のブルーリッジマウンテンボーイズに加入。
そしてナターシャーセブンへと道が開けて行った。
怒涛の如く過ぎて行った70年代、80年代だった。
91年にアイリッシュのセッションに遭遇してからも怒涛の如く過ぎた30年だったが。
この音楽も僕は20年くらい前から、これやっぱりアイルランド人の音楽だよな、とつくづく感じるようになった。
当たり前のことだが。
アンドリューなんか「アイリッシュミュージックは大っ嫌いだ!」なんて言いながらブルースばかり聴いている。
僕もブルース大好きだがアイリッシュミュージックだって好きだ。あいつはアイルランド人だからそう言えるんだろうな。
アンドリューとの演奏は底抜けに楽しい。実に音楽だ。そしてこの音楽のあるべき姿。生活だ。この音楽の奥深くにあるアイルランド人達のストーリーも感じることが出来る。
人々は僕らの演奏している姿を見て「彼等、兄弟みたい」と云うし、実際に二人で笑い転げているだけでも「あんたたちまるで兄弟ね」といった人がいた。
彼のお姉ちゃんのマリーさんでさえも「あんた、よくアンドリューの言ってること分かるわね。私でも分からないのに」なんて言う。
話は戻って、そのアイリッシュミュージックなるもの。
僕は数年前から自分たちの音楽を「アイリッシュミュージック」だとは言いたくなくなってきた。
なにかカテゴリーを提示するためには必要かもしれないが…特に日本でやっていくためには。
でも、その日本に於いてアイリッシュミュージックというものの立ち位置がよく分からなくなってきた。
人々は一体このアイリッシュミュージックなるものをどういうものとして捉えているんだろうか。それは音楽関係者も含めて。
今迄の経験によると、みんなで演奏して楽しい音楽。アニメに使われるような幻想的な音楽。
モーダルサウンドのえも言われん雰囲気。フィンガーピッキングギタリストによる美しいエアー。どこか寂し気なマイナーがちょこっと入る感じ。イベントにもってこいの陽気な音楽…等々。
こうなってくると、言い切れやしないけど、ある意味、僕の演奏してきたものとはかけ離れている部分が多い。
そうなると、やっぱりアイリッシュミュージックはアイルランドで演奏するんでいいかな、と思えるようになってくる。
希花さんにしても、アイルランドでセッションホストが出来るフィドラーとしての存在、という方が彼女にとっても有意義なものとなるだろう。
僕ら二人は様々な場面でセッションホストを務めてきたけど、世界中からこの音楽を目指してやって来る人達に対して申し訳なさを感じることもある。
そんな時に必要なのは、楽曲のバックグラウンドをよく知ることだとつくづく感じる。
タイトルやストーリーを人々に伝えてあげる事。それもホストの仕事の一つかも知れない。
そんなことを考えると、決して音を楽しむというだけのものではない、というところに行きついてしまう。
そろそろその辺りのことを考慮して自分の身の振り方も考えなくてはならない。