Back to Banjo , Just a Little Memoryと,
立て続けにバンジョー・アルバムをリリースした2024年。
その最中に、絶対に最後まで残ると思っていた高石さんが逝ってしまった。
そして、それはひとつの時代が終わった事を意味していた。少なくとも僕にとって。
1971年、京都の、とあるマンションの一室で始まった物語、いや、音楽…。
当時の日本に於けるフォークソングとは全く違ったアプローチで、特に音楽評論家などからは冷ややかな眼で見られていた。
しかし、そんな中、やはりフォークミュージックの源流を追求したいという人たちにとっては、ある意味、待ち望んでいた存在だったのかもしれない。
事実、フォークソングの原点を探す旅から戻ったばかりの高石氏にとって、日本の音楽シーン、特にフォークソングの在りかたは疑問だらけだったはずだ。
僕は元々、大学を出てからのことは何も考えていなかった。
ひとつだけあるとしたら、当時おしゃれな仕事と感じていたグラフィックデザイナーになりたいな、と思っていたくらいのことかもしれない。
ただ、もうその日から「あの子のひざまくら~♪」と唄う高石氏の歌に合わせてバンジョーを弾いていた。
そんな風にして始まったザ・ナターシャーセブン。
初代メンバーの金海孝寛はナターシャーセブンの音楽を決定づけるマンドリンのイントロを「わたしを待つ人がいる」でスタジオを歩いてマイクに向かい、見事に弾いた。
そんな彼が逝ってからもう5年?時の経つのは早い。
そして、坂庭省悟。
これはもう説明の必要がない一心同体の存在。
正直、様々な事に於いて趣味趣向がことごとく違うのに、なぜ音楽にも生活にも言葉が要らなかったのかが、いまだによく分からない。
金海氏脱退後、僕ら二人の創り出す音がナターシャーサウンドを決定づけて行った、といっても過言ではないだろう。
そんな坂庭省悟が逝ってからもう早22年?時の経つのは早すぎる。
そして、ひょんなことから加わった大物、木田たかすけ。
ある意味、天才だったのだろう。
しかし、そのキャラクターは3人で充分過ぎるほどに成り立っていたと思われていたグループに見事に溶け込み、そして見事にステップアップを施した。
木田たかすけが逝ってからもうかれこれ45年?本当?
そして高石氏が逝ってからも、もう1年。時はどんどん過ぎていく。
今回、僕がこのアルバムを作る決心をしたのは、そんなメンバーの想い出をひとつの形にしたかったからだ。
か、と言って簡単なことではない。
ただ、自分の出来る範囲で皆さんにナターシャーサウンドを想い出して感じていただけたら、という気持ちだ。
木田氏亡き後のベースマン、進藤了彦が昔の写真を引っ張り出して来てくれた。
彼も最初の頃は僕と省悟に「進藤、あれもってこい!」「はい。進藤、行って参ります!」
なんて使い走りばかりさせられていたが、素晴らしいベースマンとして成長していった。
僕自身は、ザ・ナターシャーセブンといえばこの4人+進藤、迄だと思っている。
実際、僕は84年には抜けてしまったのでその後の事は知らないが、少なくとも高石氏の歌を最大限に生かし、グループのサウンドを不動のものにしたのはこのメンバーだと言えるだろう。
アルバム発売に関する情報はもう少ししたら、城田純二HPの10strings CDsの項目に掲載いたします。