ブルーグラスとアイリッシュ、新年の雑談

  少し前から、ブルーグラスとアイリッシュは本当に似て非なるものと実感している。

文献によると、ブルーグラスとは、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッツ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、ウルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽を基盤として1945年にビル・モンローが創り出した音楽、とされている。

確か、彼のブルーグラス・ボーイズが初めて来日した時のこと。ショーも半ばに差し掛かり、何かリクエストがあるか?と彼が言った。

日本の人たちは奥ゆかしいので、僕の聞く限りではだれも何も言わなかったのだ。すると彼が計ったように「Oh!Danny Boy…. Danny Boy!… Good」といって勝手に歌い始めた。

元々北アイルランドのデリー州の曲だし、彼の歌いたかった歌であったのだろう。

又、彼のペンになる曲には、その名もズバリ「Scotland」という曲もある。僕は常々、ブルーグラスは多くの面においてアイリッシュよりもスコティッシュに近いな、と思ってきた。もちろんスコットランドとアイルランドの音楽には類似点も多いが。

技術的にではなく、ブルーグラスとアイリッシュの違いを一番顕著に感じたのは、なんといっても初めて接したセッションでのことだろうか。

ブルーグラスのセッションは雰囲気がとことん明るく、アイリッシュのそれは、これでもかというくらい暗かった。というかシリアスだった。

ブルーグラスでは歌の間奏で自分の番がまわってきたら、どんなリックを弾こうかと考え、インストではどんなふうにアレンジするかを常に考える。今度は君の番だよ、みたいな譲り合いの明るさがセッションにはある。そして、この音楽はひとりでは成り立たない。最低4人いる。ま、グリーン・ブライヤー・ボーイズは3人だったが。

アイリッシュは一人でも成り立つ。ギターの場合はギタリストにとっては美味しいエアーやジグ、ホーンパイプなどのセットや少しのリールを弾けば、それはそれで成り立つ。他のリード楽器において伴奏は必要ない、ともいえる。

勿論、一人だけのシンガーとしても成立する。そんな意味ではやっぱりこれは民族音楽そのものだ。ブルーグラスはひとつの音楽形式といえるだろう。

更に、ここ数年のブルーグラスには、ジャズやスウィングの要素と、特にフィドルはひたすらブルース・フィーリングが要求されてきた。スタッフ・スミスやパパ・ジョン・クリーチ、果てはジャン・リュック・ポンティなども随分ブルーグラスに影響を与えてきた。そういう意味でブルーグラスのセッションではテクニックを学ぶ、歌を歌う、コーラスを付ける、ということが目的となる。

勿論そこにはプレイヤー同士の情報交換もある。そこら辺はアイリッシュのセッションでもただひたすら暗いわけでもない。

話し合いも大切な要素であるし、歌も物凄く大切だ。

問題は楽器演奏。ここにブルーグラスのプレイヤーが入るとお互いに悲惨なことになる。そのことはさんざん書いてきている。

アイリッシュのセッションでは知らない曲が出たらひとつひとつの音を注意深く聴く。そして地方によってバージョンもリズムの取り方も変わってくる。そして合奏し、また学ぶ。   

ブルーグラスでは知っている限りの音楽要素の中から特別なリックを展開する。僕が最近注目していることはブルーグラスという音楽の難しさと、アイリッシュの一見、だれにでも出来ますよ、という雰囲気だ。本当は何百年もの歴史のなかで生きてきたとんでもない音楽なのだが。

先にブルーグラスにはジャズやスウィングの、そしてブルースの…ということを書いたが、もちろんアイリッシュでもそれらの知識はないよりもあったほうがよいだろう。

ところが、アイリッシュでは(特に日本では)クラシック的要素があまりに強すぎる。クラシック畑の人達が、美味しそうな曲を選んでは、「アイリッシュの…」と言って演奏する。僕にしてみればとてもアイリッシュとは言えない。単なるバック・グラウンド・ミュージックか、いわゆる勘違いだけなのだ。

また一方、すぐにドラムスやキーボードと共にアイリッシュ的、という雰囲気だけで演奏をしたがる人がいる。

メロディ、フォーム、和声、リズム、全てを無視したものをアイリッシュと称し、単なるイベント音楽と勘違いする人もいる。

そういう人たちの中に、純粋にトラッドをしっかり踏まえている人がなかなかいないのは、日本では仕方のないことかもしれない。

ブルーグラスはたかだか70年くらいの歴史のなかで、アメリカでも日本でも(もちろん他の国でも)飛躍的発展を遂げてきている。

僕の知る限り、ブルーグラス・ボーイズからフォギー・マウンテンボーイズ、バンジョーでは、スクラッグス・スタイルの確立、ドン・レノやエディ・アドコックに代表されるシングルストリング奏法、ビル・キースのメロディック奏法、ジェシー・マクレイノルズのマンドリンでのクロス・ピッキング、クラレンス・ホワイトに代表される、ブルージーでロック・フィーリング溢れるギター奏法、そして、70年初頭のニュー・グラス。この辺からスゥイングやジャズ、また、ロックの影響をごく普通に取り入れるミュージシャンがたくさん出てきた。

そして、過去に聴いたことのなかった音楽、デビッド・グリスマン・クインテットの出現はショッキングな出来事だった。

フィドルも大きく分けてテキサス・スタイルとヴァージニア・スタイルからジャズやオーケストラとの共演までもブルーグラス・プレイヤーがやるようになってきた。

それも、どうみても田舎から出てきて、そんなに多くの音楽知識を得られる環境に育たなかっただろう人まで、実に多くの演奏者たちが素晴らしい音を奏でている。

初めてJ.D.Croweが来日した1975年、一緒に来ていたジェリー・ダグラスのことはまだ知る人も少なく、トニー・ライスが盛んに「ジェリーに拍手を」と言って彼を盛り上げていた。確かにドブロが入っていることでセルダム・シーンのようなサウンドだったような記憶はあるが、その彼が今では一流プロデューサーであり、超一流ドブロ奏者だ。あの時彼はまだ19歳であり、トラッドをしっかりと追従する若者であった。

ブルーグラスにはあまり馴染みのない人達にも是非クリス・シーリーのマンドリン・プレイは聴いてほしいし、マーク・オコーナーの美しすぎる心のこもったテクニックを肌で感じてほしい。

マイケル・クリーブランドの強烈なプレイはクラシックのバイオリン奏者の耳にどう聴こえるのだろう。

ブルーグラスのフィドラーにマーティン・ヘイズやフランキー・ギャビンのプレイはどう聴こえているのだろう。

平塚研太郎がマーティン・ヘイズを見て、ボウイング(弓使い)がことごとく逆でなんだか気持ち悪いくらいだった、と言っていた。

アイリッシュのテナー・バンジョーを見た古橋一晃君が「僕はギターを始めたころ、ピッキングがよくわからなくてこんな風に弾いていたけど、ブルーグラスとは全然違うんですね。あのままやっていたら、もしかしたらアイリッシュ・ミュージシャンになっていたかも」といっていたことと共通しているようだ。

アイリッシュは様々な観点から特殊な音楽だ。セッション自体にしても、生活、文化そのもの、といえるかもしれない。ブルーグラスはアメリカという“ごちゃ混ぜの国”で発展してきた独特な音楽のひとつ、といえるだろう。

どちらも日本では、ケルトっぽいとか、カントリーっぽい、という表現でそれなりに重宝されているようだ。

随分前に、有名な“つんく”がブルーグラスのことを「日本人にはとても難しい音楽です」と評していたが、この人意外とよくわかってるじゃん、と思ったものだ。

最後に、ノエル・ヒルの有名な言葉を書いておこう。

「アイリッシュ・ミュージックには全てがある。エアー、ジグ、ホーンパイプ、リール。音楽に必要なもの全てが揃っている」