2014年 アイルランドの旅〜ディングル〜

8月20日(水)晴れ

いざディングルへ。今日はブレンダンの元の奥さんの車で約3時間とちょっと。ゴルウエイ近辺では慎重に運転していたが、さすがにケリーに入ると自分の庭のような感覚になってか、すっ飛ばし始める。

今日は海辺の崖道を通りましょう、と、僕らにとんでもない景色を見せてくれる。

いたるところ、車がすれ違うことが出来ないほどの曲がりくねった細い道。右側は断崖絶壁。左側は今にも崩れ落ちそうな岩肌の飛び出した崖。そこを慣れた様子で進んで行く。

前から車が来るのが見えたら、ここで待機、と言って突き出た崖の下にもぐりこむ。「子供の頃、おばあちゃんとよくここを通ると、いつ岩がおちてくるか気が気じゃなかったのよ」と言って笑う。

僕らもいつ他の車と鉢合わせになって、いざバック、ということになるだろうか、と気が気じゃない。

実際、ツーリストが入り込んだらかなり怖い思いをする道だろう。しかし風景はこのうえなく美しい。

家に着いてブレンダンと再会。

今日はゴルウエイでも夏の期間に行われているTune in the Churchのディングル版に出演することになっている。

2階席を含めたら100人ほどのキャパシティの教会には、早くから人々が集まって、ほぼ満席になった。

サウンド係の人も、さすがにこの音楽のことをよく知っている人だ。1部にパイパーとギター、2部に僕ら3人だったが、サウンド・チェックの時からこういった音に慣れ親しんでいる感じだ。

多分自分でもこの手の音楽を演奏するのだろう。そういえば、デニス・カヒルもPAを担当していたことを思い出した。

素晴らしい音に包まれて、僕らの持ち時間は45分。ブレンダンの美しい歌声が響き、地元ケリーならではのポルカが鳴り響く。

ちょうど高橋竹山さんを地元、青森で聴いた時のようだ。

この日のために予定を変えた高橋夫妻にも楽しんでもらえたと思うが、遠いところを本当にありがとう。

星が降り注ぐディングルだった。

 

8月21日(木)曇り、時々雨

ゆっくり休んで、昼からブレンダンが使っているキャラバンで食事。彼のお兄さんにあたるシェーマス・ベグリーの家の庭に置いてあるキャラバンだ。

キッチンからトイレまで、それに広いベッド・ルームもある。

見渡す限り山、山、そして草原には羊が。遠くに海。

いつも思うがこういうところで生まれて、こういうところで聴いてきた音楽を子供の頃からやっているのだから、どういう感性で育って行くのだろうと思ってしまう。それはもう、想像の範囲でしか語れないものかもしれない。

ブレンダンが釣ってきたサーモンをまた、スシにする、といって聞かない。冷凍したから大丈夫だ、というが、その前の段階、どんなところでおろしたか、いまから使うまな板(と呼べる代物にはほど遠い)ナイフ、あくまで包丁ではなくナイフ。そしてどこから拾って来たのか、それを研ぐ石。

それらを見る限りこれを生で食べる気にはならない。

それでも彼はスシをつくる、というのでそれは“さしみ”と言うんだ、と言って僕らの分は塩ジャケとして食べた。

勇気を出して一切れだけさしみとして食べた希花が、確かに脂の乗ったおいしい鮭であることは認める、と言っていたが、あくまで一切れだ。

ま、今でもピンピンしているから大丈夫だったようだが、なにはともあれワイルドな食事を済ませてコンサート会場へ。

今日は2年前にも演奏した楽器屋さんでのコンサート。チャンピオン・ダンサーも出演しての素晴らしいコンサートになった。

画家がステージ袖で、演奏している僕らをその場で描く、というパフォーマンスもあり、40人ほどの会場は盛り上がった。IMG_20140821_212341

明日は朝早く僕らはゴルウエイに戻り、ブレンダンはレイトリムに6時間ほどかけて突っ走るので早い目に失礼して帰った。

ケリーの山々を見下ろす暮れかけた空が美しい。

そういえば、朝、散歩をしていると、柵に首を突っ込んだ角の生えた羊が、自分の角がひっかかって四苦八苦している光景に出会った。

助けてあげることも出来ず、頑張れ!頑張れ!と言いながら眺めていると15分ほどしてやっと抜けて去って行った。

羊は必死だったろうが、僕らは面白かった。

 

8月22日(金)晴れ

朝8時過ぎにブレンダンが、向かう方向とは逆に突っ走る。3分ほど走ると朝のお決まりコース、海にドボンだ。

ジャケットを着ていなければ寒いくらいの気候なのに、さっと着ている物を脱ぎ捨て、ドボン。

ブレンダンの今の彼女、オーラは素っ裸になってドボン。あきれて眺めている希花を尻目に二人でシャンプーを楽しんでいる。

大西洋が風呂の代わりだ。

10分ほどであがって来ていざ出発。

僕らはお昼過ぎにゴルウエイでブレンダンと別れた。

強烈に疲れるが、本当の本物のアイリッシュ・ミュージックとは、彼みたいな人が奏でるものなんだ、と思わざるを得ない。

勿論、そこまでワイルドでなくても、そういう本物のミュージシャンが僕らのまわりにいっぱいいて、彼らが僕たちを誘ってくれるのはとても嬉しいことだ。