2014年 アイルランドの旅〜まとめ〜

60年前、ピアノを始めて音楽と親密な関係に陥った。

父は陸軍時代、消灯ラッパと起床ラッパの区別もつかないくらいの、いわゆる“音痴”を絵に描いたような人だったらしく、そのことで悩んでいた母親が、子供には“ああなってほしくない”と教室に通わせた、というのが真相のようだった。

母は草月流の生け花の先生の子供として生まれ、幼少の頃から芸事、特に音楽にどっぷり浸かっていたらしい。

もっとも、戦時中はそんなこともできなかったろうが。

僕がピアノを始めて間もなく、教師から「この子はもしかしたら天才かもしれない」と言われたそうだが、僕はもちろんそんなことは知らない。

ただ、なんとなく覚えていることは、先生が持ってくる楽譜を自分で書き換えては「このほうがいい」と言っていたこと。

小学校にあがる前からずっとピアノの前に座って(ライナスのように)何か弾いていた、ということ。

それと和音に著しく強く、ひとつひとつの音を聴き分け、どんな和音なのかをことごとく言い当てた、ということ。

その辺のことはなんとなく記憶にある。

そして、母親の死によっていったんは離れた音楽と再会したのが14歳くらいの時。

ギターと出会い、ほどなくしてバンジョーに遭遇した。

思えば音楽に関わって60年あまり。

フォークソングの素となるアイリッシュも含めて民族音楽(と呼んでもいいだろう)を始めてから50年あまりが経った。

今、こうしてアイルランドを旅して、ここの音楽を演奏しているが、真面目に考えれば考えるほど深みにはまり、僕らが生まれるよりはるか前に残された音源に胸の高鳴りを覚え、またその時代背景の物語に涙が溢れ、なんという壮大なテーマにぶつかってしまうのだろうと思うことがある。

もっとただ単に楽しめればいいのかも知れないが、されど音楽、である。

僕らが毎回の旅で出会うミュージシャン達は、それぞれが本当の意味で伝統を大切にしている。

僕自身、音楽は芸術だと思っているが、音楽家が全て芸術家だとは思っていない。僕の知る限り、彼ら自身もそうは思っていない。

この音楽は明らかに生活の一部であり、無くてはならないものであり、無くても生きて行けるものでもあるのだ。

No Music No Lifeなどという安っぽい言葉を彼らは持ち合わせていない。音楽というものが自分にとってどういうものか、なんて考えたこともない人達だ。

自分の奏でる音楽には物語があり、捧げるべく山々があり…と、文章で書けば書くほど理屈っぽく、うすっぺらになる。

ただ、日本から来る、或は日本に於けるアイリッシュ・ミュージック愛好家たちの一部はもっともっと彼らの音楽に尊敬の念を抱くべきだ、と思っている。

フェイス・ブックやツィッターなるものが世の中に出現して、ずいぶん素っ頓狂な意見を言う人が増えて来た。

いや、単に目立って来た、と言うべきだろうか。

たかだか10年、20年の経験でこの壮大な音楽を他人に教える人まで出てきた。いや、そういう人の中にも真面目に取り組んでいる人がいることはよく知っているし、彼らもなんとかこの音楽の良さを多くの人に分かって欲しい、という願いでいることだろう。

しかし、先に述べたように、深く掘り下げてみよう、などと思わずに素っ頓狂なことをネットで書きまくっている人が多いことも事実だ。

また、多くの人は当世よくあるバンドのサウンドにしか耳を傾けない。というか、それしか知らない。

本当に難しいのは最低限の楽器でどう表現するか、ということだが、イベントものくらいにしか興味を抱かない人も多い。そういう人達はこの音楽に関わるべきではない。本当に大切なことは何か、ということを知るべきだ。

僕らはアイルランドの旅を通じて沢山のことを学んで来たが、まだまだ奥深く、分からないことだらけだ。でも、それは生きている限り続くことなのだろう。

ただ、さまざまな出会いを大切にし、この伝統に育まれた音楽のひとつひとつの音を、物語を、そして生活をどのように奏でていくか、この国の風景を見ながらゆっくり考えてみたいものだ。

また来年もそんな旅になることだろう。