ロストシティ・キャッツと今富秀樹

 今富君との再会から、彼とのツァーを経て、あの伝説のバンド「ロストシティ・キャッツ」のことを想い出すこととなった。

今富君はキャッツ(以下、キャッツとさせていただく)のギター&ボーカル。

キャッツは、神戸の元町にあった、かの有名なるバンジョー弾き、野崎謙治さんのコーヒー・ハウス、ロストシティから生まれた精鋭バンドだ。

ブルーグラス45もここから生まれた、といっても過言ではないかな。僕が高校生で、まだ静岡にいたころからの話だし、その頃は距離的にも東京の方が馴染み深く、関西に関してはあまり情報が得られなかった。

なので、間違っていることもあるかもしれないが、68年、京都に出向いてからのブルーグラス関連のことでは思い出すことがいっぱいある。

当時、どこの大学にもブルーグラスのグループが存在し、京都の烏丸通にあった「アメリカ文化センター」というところで月1回、ブルーグラスのコンサートが開かれていた。

そのころはまだキャッツというバンドは存在していなかっただろうか。その辺は、また今富君にでも訊いてみないとわからないが。

ナターシャー時代、それもかなり初期に神戸のそごう百貨店(だったかな)の特設ステージで、キャッツと共演したことを覚えている。

その頃から今富君のボーカルが冴えていたこともよく覚えている。

彼等のレコードも、「キャッツだドカーン」ともうひとつ、どこかの牧場で撮ったジャケ写のものと、どちらが先だったかは覚えていないが購入した覚えがある。

当時は、ブルーグラス45、三ツ谷君がいたロッコー・マウンテンボーイズ、桃山学院のブルーグラス・ランブラーズ、そして、キャッツ、その他様々なバンドが鎬を削っていた。

もちろん関東方面でも素晴らしいバンドがたくさんいた。

日本のブルーグラスの黄金時代と言えただろう。72年頃からは、ナターシャー・セブンもそこに一役買い、さらに人々の間にブルーグラスが浸透していった。

さて、キャッツの後輩バンドに“ロストシティ・マッドドッグス”というグループもいたはずだ。

確か、僕が産業大学の2回生の頃にギターとボーカルで参加していた藤田君という人は、後にマッドドッグスのリード・ボーカルで活躍したんじゃないかな。この辺のこともかなり前のことなのであまり定かではないが。

長身のハンサムな彼がギターを少し斜めに構えているのを見て、この人はJim&Jessieが好きなんだろうなと思ったら大当たりだった。

あの頃、みんな生で見たことのないプレイヤーに憧れていた。僕はEddie Adcockだったし、今富君は誰だったろう。やっぱりLester Flattかな。

彼の店「オッピドム」に行くと、Bill Monroeとの2ショットでにっこり笑った今富君の写真を見ることができる。

Bill Monroeは勿論、誰もがこの音楽の父として尊敬していた。

今富君は現在、自身の書き下ろした楽曲なども歌い、演奏している。彼の1949年製のマーティンD 28と共に。

それは、ロストシティ・キャッツのリード・ボーカルとしてブルーグラスの神髄を歌い続けてきた彼の別な一面でもある。

今度はもっとキャッツのことや、当時のブルーグラス・シーンのことを彼にインタビューしてみよう。