パディ・キーナン

まだアイリッシュパイプなるものがどんなものか知らなかった70年代半ば、初めてボシーバンドのLPレコードを手にした。

以来、ブルーグラスフリークだった僕にとっても、最も好きなバンドのひとつとなったが、まだまだそんなに縁の深いものではなかった。

90年代初め、彼とサン・フランシスコのパブで遭遇。その日はケルティックフェスティバル後の大セッションでパブは30人ほどのミュージシャン、70~80人程のお客さんでにぎわっていた。

当時、もうセッションの中心人物だった僕であったが、そろそろ誰かに一番いい席を譲ってあげなければ、と思っている矢先に彼が現れたのだ。

その時が初対面である。

僕は何も言わずに席を立ち、ごく自然に彼の席をつくってやったつもりだったが、後で聞いたところによると、まわりの人たちに「あいつは俺のことが嫌いなんだろうか」と盛んに訊いていたそうだ。

あんな風体で意外と気が小さいのだ。

90年も終盤に差し掛かったころ、とある人からパディ・キーナンがギタリストを探している。今一緒にまわっているショーン・トリルはシンガーでインストルメンタルはどうも思うようにいかない。是非一緒にやってくれ、という主旨の電話がかかった。

僕はパブでのことを思い出し、そうだ、誤解を解くいいチャンスだと思い、即刻オーケーした。

それ以来、パディとの付き合いは長く続いている。

あちらこちらのフェスティバルにもずいぶん出演した。

カナダでは、ティム・オブライエン、ダーク・パウウェル、ニーヴ・パーソンズそれに、デビッド・リンドレィ、さらにフレンチ・カナディアンの8人編成のバンド。そんなメンツで僕とパディも含む15人ほどが一緒に演奏した。

ティム・オブライエンがマンドリンでリズムを刻みながら何千人もの人に語りかける。

ワン、ツー、スリーといったかと思ったら曲に入る。みんな大興奮だ。

スタッフはグシャグシャになったコードをたぐってまだ決まっていない音をなんとかしようと走り回っている。

パディが僕に訊く。「じゅんじ、キーは何だ」「B♭」「あっ、無理だ」「カポ貸すぞ」こんな調子だ。

ふたりだけでのツアーにもずいぶん出た。

コンサートのセットをつくるのは僕の役目だった。

主催者との電話のやりとりも、彼もするが、最終的には僕が受け持つことがよくあった。

とてもシャイな男だ。

彼の音楽は、トラヴェラー(またの言い方では、ジプシー)として育った彼の生い立ちから生まれ出てくるものだ。

明日を知れない、今晩の寝どこを得るために、今食べるものを得るために演奏しなければならなかった、本当の意味での魂の叫びが聞こえてくるようだ。

彼もまた超一流のミュージシャンであり、人間味溢れるよき父親である。

彼が若いギタリストに伝えていた。

「大切なことは自分自身という人間を表現すること。じゅんじのギターを聴いていると、彼にしか出せない音、彼そのものの音が聞こえてくるんだ。君も君自身を弾くんだ。誰かと同じじゃぁ駄目なんだ。世界に一人しかいない君自身を人々に紹介するんだ」