アンドリュー・マクナマラ

僕をこの世界に導いてくれた張本人である彼は、生粋のカウンティ・クレア、タラ ボーイだ。 子供のころからマーティン・ヘイズ等と共にタラ・ケイリ・バンドで演奏していた。

 彼と初めて会ったのは1992年頃だったか、サン・フランシスコで毎年行われていた、ケルティック・フェスティバルの夜、多くのミュージシャンがパブに集まっていた時だ。

アイリッシュ・ミュージックに於いてはまだ初心者だった僕は、4弦バンジョーを出来るだけ目立たないように弾いていた。

そんな僕を見つけると、彼は突然叫んだ。「俺の横にきて弾け!」

何が起こったのかよく分からないままに、となりの席についた僕に、こんな風に弾け、と、次から次へと曲を弾いてみせた。

後年、何故あの時声をかけたのかを尋ねたところ、白人以外でこの音楽を演奏するやつがいることが珍しかったからだ、と言った。

アンドリューとは以来、20年にわたり、ずっと兄弟のような付き合いをしている。

2001年、はじめてアイルランドを訪れたのもアンドリューの誘いによるふたりのツァーのためだった。

クレアーから、コーク、ウォーター・フォード、ケリーなどをふたりでまわった。

小さなB&Bや、友人の家で同じベッドに寝たり、真夜中まで笑い転げる僕らを見て友人の母親が「あんたたち、まるで仲のいい兄弟ね」とほほ笑んでいた。

アンドリューとの演奏はいつでもとことん楽しい。いや、それだけではなく、かたくなにトラッドを貫き通す姿勢と、無類のブルース好きが生み出す汗臭い音とが絶妙に絡み合っていて、真の意味での音楽を体感できるのだ。

時は戻るが、2000年のサン・フランシスコ。プラウ・アンド・スターズでテリー・ビンガムとのトリオ。

そろそろ午前2時にもなろう、というのに9時から演奏を始めたアンドリューの勢いが一向に止まらない。それどころか放っておけば死ぬまで弾き続けるんではないか、と思うほどの勢いだ。

テリーが泥酔してコンサルティーナを弾いたままステージから転げ落ちる。半分寝ていたようだ。

しかしそのままふらふらしながら、吸い寄せられるようにバー・カウンターまで行き、再び飲み始めた。

アンドリューは大笑いしながら演奏を続ける。

「じゅんじ、D…じゅんじ、Em…Bm…」とどまるところをしらない音の嵐だ。

「I love you Junji!!!」オン・マイクで大声で叫ぶ。

観客はやんやの喝采。狂喜乱舞する集団。あまりの勢いにバーのオーナーも開いた口がふさがらない様子で見ている。

テリーも肩をすぼめてにやにやして、アンドリューらしいなぁ、というようすでほほ笑んでいる。

パブのオーナーは、後日、その日の様子を“過去20年間で最高の演奏だった”と賞した。

アンドリューは、他に類をみないほど頑固な男だ。

それもそのはず、かの有名なるトニー・マクマホンの甥っ子だ。彼についてはまた別な機会に書くことにする。

僕が初めてアンドリューに会った時、彼はまだ30歳くらいだったのだろうが、あれから20年。歳と共にさらに頑固に磨きがかかってきたようだ。

トラッドをとことん大切にする。そのくせ、モダンなものも好きだ。それもきちんと筋の通ったモダンなものが。

そして僕との共通点は、前にも書いたがブルース好き、というところだ。

ブラウニー・マギーとソニー・テリーが大好き、という筋金入りブルース・フリークだ。

フュージョンは好きになれない。トラッドを尊重しない人にアイリッシュ・ミュージックなど語る資格はない。

二人で何日も過ごすと、朝、下の部屋からアンドリューの咳と雄叫びが聞こえてくる。そして「じゅんじ!パイント?」飲みに行こうという合図だ。

朝と言っても、昨夜さんざん演奏して、ビールのとどめにアイスクリームを食べたお腹はひっくり返っている。

だが、あまりに楽しそうなので、ついついこちらもその気になってしまう。昼ごはんを食べるとまた飲みに行く。

そして夕方からギグに行く。

演奏するパブでの用意が済むと「じゅんじ、飲みに行こう」と他のパブに誘う。

そしてショット・ウィスキーを左手に持ち、ギネスを右手に持ってこうやって飲むんだぞ、と言って嬉しそうに見本を示してくれる。

始まる時間にパブに戻ってまた一杯。やりながらまた一杯。休憩にまた一杯。終わると後かたづけをしながらまた一杯。

帰りにディスコへ寄ってまた一杯。

ついでにアイスクリームをひとつ。

今では飲酒運転に対する規制も厳しくなり、彼自身も歳とったせいかこんな具合にはいかないようだが、彼にはいつまでも元気でいてほしい。

そして、本物のクレア・ミュージックと、ブルース・フィーリング溢れる演奏をたっぷり聴かせてほしい。

それが僕の願いだ。