M SHIOZAKI Guitar

  その昔、と言っても80年代初期だったろうか。いや、70年代後期だったろうか。とに角、初めてお会いした時、彼(塩崎氏)が手にしていたのは、マーティン・タイプのそれはそれは綺麗なインレイを施したD-45然としたギターだった。

僕と坂庭君が四国ツアーをした時のことだ。

充分注目に値するそのギターを制作したのが彼本人だということを知り、僕らは衝撃を覚えたほどだった。

勿論、当時から様々なギター職人が日本にも存在しただろうし、良い物はさんざん作られてきていたと思うが、これほどまでにマーティン・ギターを再現しているものは、あまり見たことがなかった。

当時、まだ今ほど情報が簡単には手に入りにくく、作り手だけでなく、弾き手も、楽器の細かいところについてはよくわからなかった面がある。

それ以前にはDoc WatsonD-18を持っていれば、比較的安いモデルを買うお金しか無かったんではないか、なんて思ったり、D-21というモデルの存在もよく知らなかった。

D-45は知っていても、D-41のことは全く知らなかったと言っていいだろう。

70年代に様々なギターを見、そしていろんなことが分かってきた80年代初期でも、まだまだ不十分な知識であった。

そんな中にあって決して異色なものを求めるのではなく、ひたすらマーティンを追い続けてきた塩崎氏の熱意は大したものだ。

僕は90年代に入ってマーティン・ギターにほぼ別れを告げた。アイリッシュ・ミュージックとローデン・ギターに出会ったことで。

それは僕がこれから展開していく音楽に最適な“道具”だったからだ。しかしそんな中にあっても機会があるたびに楽器屋さんで、あるいは新聞広告に掲載されているマーティン・ギターを試奏していた。

000-18, 000-28, HD-28, D-18, 00-16など、40年代のものから新しいものまで、中には衝動買いしてしまったものもあった。

当時は多くの手工ギターが世に出始めて、マーティン・ギターの価格も比較的安くなって(感じて)きた頃だった。

だが、それだけではない。やはりマーティン・ギターというのは我が人生の通ってきた大切な道のひとつだったからだろう。

塩崎氏のポスト・マーティン・ギターは僕らの胸を高鳴らせるものだった。シーガルというブランド名で数々の良質のギターを生み出してきた彼は最近、M SHIOZAKIというブランドにネーミングを変更し、奥さんと共に制作を続けている。

彼自身、試行錯誤は繰り返しているだろうが、マーティン・ギターをこよなく愛し、その再現に努める一途の姿勢には頭が下がるばかりだ。

前回の四国ツァーで初めて彼の工房にお邪魔させていただいた。とても大きな立派な工房で「あー、ここでもう何年になるのか、彼はずーっと頑張ってきているんだな」ということをひしひしと感じる場所であった。

彼は過去、僕のために数本のギターを作ってくれた。そのうちの一本は2001年、カナダでステージを共にしたデヴィッド・リンドレ―が「いいギターだなぁ」と言い寄ってきたものだ。

初めて見せていただいた時よりも、また、リンドレーがその存在を認めた時よりも、確実に進歩している彼の作りだす音は、真のマーティン・ギターのノウハウを受け継ぐものとしてこれからもっともっと多くの人に注目されていくことだろう。

そして、なんといっても彼の人柄がいいギターを作りだしている、と言っても過言ではない。

塩崎氏と、彼をサポートし続けている奥さん。お二人の益々のご活躍を願っている。IMG_1895