アイリッシュ・ミュージックと我夢土下座

今年もまた、アイルランド行きが近付いてきた。ゴルウェイの教会でのトラッド・コンサートと、イデル・フォックスとのフィークルでのコンサートが今年のメインだ。

行って色々な人に連絡を取れば演奏の機会はまだまだ増えるだろう。

だが、それよりもなによりも、自然に音楽を奏でることの大切さを身をもって体験できるいつもの夏。そこに価値があるのだ。

フランキーとパディもちょうどその頃はアイルランドにいるし、アンドリューは相変わらずだし、ブレンダンも突然顔を出すだろう。

テリーとコーマックは希花のコンサルティーナ仲間になりつつあるし、マット・クラニッチも手ぐすね引いて待っている。

さて、ここ最近、1971年からずっと一緒に山登りや、川下りや、野球、そして音楽をやってきた我夢土下座との音楽会をやったり、残念ながら他界してしまった笠木氏の歌を唄ってきたりして、更に僕たちのアイリッシュ・ミュージックも力強くなってきたような気もする。

面白いものだ。やっぱりどちらも生活の匂い、人々の心の叫びが音楽になっているんだ、とつくづく感じる。

僕は以前から我夢土下座が大好きだった。そして、ケリーの断崖絶壁から大西洋をながめ、ブレンダンの歌を聴いていたとき、笠木透や我夢土下座を想い出していたのだ。

それは決してイベントもののようなアイリッシュ・ミュージックではなく、人々の歌、そして人々の音楽なのだ。

希花は未だに自分のスタイルを模索しているし、この音楽が20年や30年の経験で語れるような音楽ではないことをよく理解している。

本当はもっと軽い気持ちで楽しめればいい。軽い気持ちで「こんなに楽しいものですよ」と他人に教えてあげられたらいい。軽い気持ちで「今日ライブやりまーす」なんて言えたらいい。

それにしても、他人からお金をいただくのは苦しいことだ。その苦しみの中のほんのちょっぴりの楽しみのために100%の努力をするものだ。そしてそのほんのちょっぴりの楽しみはまた次の苦しみへと発展してゆくのだ。

トラッドを謳って楽しいだけでは、それは一種のお遊びだ。お遊びで他人様からお金をいただくわけにはいかない。

希花は、ここ数年アイルランドで人々の生活の中に溶け込み、一流演奏家の下を訪ね、また、かれらとのステージを経験し、多くのセッションホストをこなし、その上、真の意味でのフォーク・ソングを体験している。

アイリッシュ・ミュージックを演奏しながら、ジョセフ・スペンスやロバート・ジョンソン、スティービー・レイ・ヴァーンを聴き、ブルーグラス・ボーイズを聴き、果ては我夢土下座とまで共演させられてしまう。そこが大きくプラスになっているだろうし、未だに模索をする原動力ともなっているのだろう。

僕もフォーク・ミュージックに関わって50年。未だに模索は続いている。

アイルランドに行く前に本物のフォーク・ソングと再会したことはアイリッシュ・ミュージックをもう一度考えるいい機会になったのかもしれない。

帰ってきてから、またいろんな話ができるといいな。