まだまだ忙しい日が続く。今日はこれからタラに向かう。
タラというとほとんどの場合Taraと勘違いされる。「風と共に去りぬ」で有名なHills of Taraだ。
なので、どちらかと言えば“トラ”に近い発音で言わなければ分かってもらえない。そこにカウンティ・クレアも付けても知らない人が多いくらいの何もないところだ。
1999年、僕は初めてアイルランドの地を踏み、アンドリューに迎えにきてもらって、マクナマラ家に2週間ほどお世話になった。
お姉ちゃんのマリーさんがシチューと、慣れないご飯を炊いてくれて、珍しいお客に会うためにお母さんまで手ぐすね引いて待っていてくれた。
その時に見つけたパブがフランのパブだ。
この村にある4つのパブの中でダントツに小さく、静かでアットホームな隠れ家的存在で、中に入るのにはある意味、抵抗がなかったと記憶している。
確かにドアを開けた瞬間、多くの目にさらされるか、数人だけかは…う〜ん、どちらがいいだろうか。
とにかく3〜4人の人がいたと思う。
多分その中にいただろう、クリスティという男の人が今回僕らをタラに呼んでくれたのだ。勿論アンドリューも一緒になって計画してくれた。
だが、オーナーのフランはもういない。
去年の冬に85年の生涯を閉じた。この村を訪れる度に必ず会っていたフラン。そして“彼を慕って毎晩のように来ていたお客さんみんなで彼を偲んでお話をしたり演奏したり、歌を歌ったりしよう。ジュンジとマレカが居るうちに”
そんな計画を練ってくれていたのだ。
クリスティとの夕食後、まず彼が僕らをフランのお墓に連れて行ってくれた。
アンドリューの家の前、通りを渡って坂を登った高台にある墓地。初めて来た時もアンドリューとここを散歩した。
朽ち果てた教会の跡がわずかに残り、本などでよく見る形の十字架が並び、四方に緑の大地がひろがり、山々が遠くに佇んでいる、なんとも寂しく、そして荘厳な気持ちになる場所。ここにも必ず散歩に来ていた。
僕らはフランが安らかに眠るようにお祈りをした。そしてパブへ。
今は彼の甥がここを継いでいる。
「良く来てくれた」と、まずギネスを注いでくれる。ブレンダン・ハーティがいた。アンドリューと一緒に演奏していて昔から良く知っているギタリストだ。間もなくしてフィドラーのアイリーン・オブライエンもやってきた。
希花が初めて会ったとき、怖そうなおばさん、と思ったそうだが、もう今ではいい友達のひとりだ。
アンドリューもやってきて奥の部屋でセッションの始まり。11時頃になると知った顔、知らない顔が次々と現れてにぎやかになってきた。
それでも他のパブのようには騒がしくならない。ちょっとゴルウェイのパブの騒がしさから遠ざかりたいこの頃だったので、とても心地よい。
そうしてフランを偲んで良い時間を過ごす事ができた。
1時過ぎ、みんなに挨拶をしてパブを出ると、いつものように満天の星空。
それから朝6時過ぎまでアンドリューとアイリーンが大騒ぎ。
アンドリューのお母ちゃんも病院だし(フランと同じ歳)彼も大好きなブルースやロックンロールを大音量でかけて大はしゃぎ。
お母ちゃん子のアンドリューも、さぞ心配だろうけど、ずっと面倒をみてきているので来るべき時の覚悟はしているだろう。
今のうちに大騒ぎ…かな。
そんなことを考えながら、4時頃には僕らは眠りに就いた。キッチンから盛んにアンドリューが「ジュンジ!」と叫んでいた。アイリーンの笑い声。ミシシッピ・デルタのどぎついブルース…。
最初のうちは僕も答えていたが、そのうち段々呼び声も遠くなり、そのまま爆睡。
翌朝、11時過ぎのバスでゴルウェイに戻ったが、エニスのバス発着所で「また来年もやろう」と眠たそうな目をして去って行ったアンドリュー。
その後、エニスの病院にいるお母ちゃんに会いに行っただろうか。
フラン、クリスティ、クリスティの奥さん、フランの甥のリチャード。みんなに感謝。