ギタリストという立場から考えるアイリッシュ・ミュージック

この音楽に於けるギタリストの役割などというものは無いに等しい、というようなことは既に書いている。

僕は‘91年からこの音楽のギタリストとして、ほとんどのリビング・レジェンド(現存する伝説)と呼ばれる人たちと共演してきた。

それはセッションというような気軽なものではなく、対その人、対お客さん、という緊迫した状況でのものがほとんどだった。

聴いたこともない曲が突然出てくることもあったし、ここにはギターは必要ないだろうと思われるところにまで最適な伴奏を求められることもあった。

とにかくスタンダードな曲、この音楽では「トラッド」と言うけど、それらは数限りなく全てのパートを把握していなければはなしにならない。

何度か僕自身のスタイルを教える、ということもやってきた。しかし“教える”というのは別な作業だ。別な才能だとも言える。

この音楽に関していえば、リード楽器の人達は10年や20年のキャリアでは到底“教える”なんていうことはできないはずだ。最低でも30年以上、あるいは40年以上の経験が無いと無理だ、と僕は思う。

もちろん年数の問題ではないが、少なくとも僕ら日本人は、母親の胎内でこの音楽を聴いてこなかった…と思う。

そんな僕らにこの音楽を伝授することはできない。真面目に考えれば考えるほど、できないことなのだ。

一方ギターは、といえば、そういった点では可能性がある。比較的新しく加わった楽器だからこそそれが言えるのだが。

しかしながらそこが難しい。ギタリストこそ楽曲に詳しくなくては話にならない、というのが僕の考えだ。

ギタリストに限らず、伴奏楽器全般に言えることだが、まずそこがスタート地点になる。また、そうでなければリード楽器に対して失礼にあたる。

彼らは全ての楽曲にたいして正確にメロディを覚え、正確に弾けることが最低条件となり、そのうえで自分らしさを出していかなければならない。しかもそれが数百曲にも及ぶわけだ。また、各地方のリズムの取り方、バージョンまでもがその上に課題としてのしかかってくる。

それに対してギタリスト(伴奏楽器)が適当でいいわけがない。

どんな音楽でも、グループで、あるいは誰かと一緒にやる以上、相手に対する自分の責任を考えなくてはならない。

このアイリッシュ・ミュージックというもの、これは試練の音楽だ。