ブルーグラス、オールドタイム、アイリッシュ

この順番は僕が歩んで来たものなので、本来歴史上では書くべき順番は逆になるのだろう。僕の場合勿論ブルーグラスの前にフォークソング、というものが入るが。

初めてフォークソングというものを耳にしたのは、ひょっとすると1960年、うん、まだ10歳?

ブラザース・フォーの「遥かなるアラモ」だろうか。しかし、同じグループの「グリーンフィールズ」も1960年。「アラモ」より少し前に出ている。そしてすでに知っていたので、取りあえず1960年にフォークソングと出会ったと言っていいだろう。56年前?

それから4年か5年ほどして初めてのピアレス・バンジョーを手に入れ、フォークソングに夢中になるのだが、その辺のことはもう既に書いている。

ギターはそれより少し早く手に入れているので、なんとなく知っているメロディを自分なりにアレンジして弾いていた。

小さいころからのピアノの訓練で、和声と云うものはいとも簡単に理解できた。バンジョーについても同じだった。

そして、もっともっとバンジョーを弾いてみたくなったら自然とブルーグラスにのめり込んでいった。それにしても、フォギー・マウンテン・ボーイズの来日はいいタイミングだったと言えるだろう。

朝から晩までブルーグラスのことを考えていたら、今度は自然とルーツに向かうようになる。そして友人と3人でニュー・ロスト・シティ・ランブラーズのスタイルを目指す。

そこにはもちろん、ブルーグラスで演奏したものからカーター・ファミリーの歌まで、旧知の曲がいっぱいあった。

もちろん、たまには別な仲間と4人、5人集まってブルーグラスも楽しんだ。

この際、ナターシャー・セブンというものはさておいて、1991年からはアイリッシュ専門である。

よくいろんな人に「なぜアイリッシュか?」という質問を受けるが、そんな時よく「ルーツに戻っていっただけ」と答えるが、これは決して間違いではないものの、正しくもない。

散々ブルーグラスを経験すると、そのルーツはスコティッシュだということがはっきりわかる。

アイリッシュは独特だ。もちろん隣国であるスコットランドの影響を受けたものも数多く存在する。

そしてその演奏形態、ジャムのあり方は実にオールドタイムとよく似ている。が、もっともっとヨーロッパの匂いがする。

そこにはクラシックの要素もいっぱい入っている。だからこそ、クラシックの演奏家は好んでアイリッシュの曲を演奏したりするのだが、そこにはどうしようもないリズムの違いが生じる。

クラシックの演奏家の最も弱いところはリズムだろう。えも言われん、楽譜で記すことのできないきちんとしていないリズム感覚。

これが把握できないと単なる音の羅列になってしまう。

パディ・キーナンが日本の若手アイリッシュ・グループを聴いた時「とても上手いけどパッションが全く感じられない」と言った。

この音楽は生活の音楽だ。そうして考えてみるとオールドタイムからもそれを感じる。ブルーグラスはもっとショウとしての魅力に溢れる音楽なのかもしれない。それに、宗教も色濃く感じる。

ともあれ、ブレンダン・ベグリーが畑を掘り起こし、出来たジャガイモをクンクンして「うん、いける」と僕に渡した。

ジョー・カーターが「畑にラディッシュを植えるから手伝ってくれ」と鍬を持ってきた。

アンドリュー・マクナマラが「草むしりをするから、ジュンジ、そこの長靴を履いてきてくれ」と自分の分と仲良く並んだ長靴を指さして言った。

これ、全て音楽だ。オールドタイムだ。アイリッシュだ。そして、本来、ブルーグラスもその流れの中にある。

60年代からこれらの音楽に接してきて、ようやくそんなことが身に染みて感じるようになってきたのはやっぱり、彼らとの生活を体験してきているからだろう。

50年。いろんなものを見て、やっと分かりかけてきたのかも知れない。