2016年5月27日

この日は広島にとって、日本にとって、そして世界にとって歴史的な日として意味あっただろうか。できればそうであってほしい。

金曜日の夜、酒に酔った若者が奇声を上げているのが聞こえてくる。取りあえず平和だ。

広島のことは勿論、熊本の地震も、東日本も忘れているわけではない、と言いたいが普段の自分自身の生活にはあまり関係してこない。

これは決して責められることではないと思う。何事も当事者にしか理解できないものがある。

フォークソングに長いこと関わってきたけど、反戦集会に出たことは一度も無い。もし、自分が反戦をテーマにしたコンサートに出てくれ、といわれても恥ずかしくて出るわけにはいかない。

高校の頃、それでもいくつかの反戦歌をそれと知りながら唄っていた。ほとんど原語のものばかりだったが。

折しも日の丸を掲げることに反対意見が発せられていた頃。親父が祝日になると嬉しそうに日の丸を玄関に掲げるのを見て、何も言えなかった。

この人、このために命を懸けて南の島にいたんだな、と思うと、それは何も言えなくなるのは当然だろう。

僕らはなんにも知らない。でも知る義務があることは確かだ。

知る権利というと、知らなくてもいいことに首を突っ込んでは、間違った情報を嬉々として書き込んだりする輩もいるので、「事柄によっては知らなくてはいけない義務がある」と言ういい方の方が良いのかな。

僕にとって一番身近な戦争は湾岸戦争だったかもしれない。身近というと変だが、少なくとも、毎日のように帰ってくる帰還兵を題材にした「ヒーロー・インタビュー」みたいな番組が放送されていた。

高校生たちは海兵隊には入ってみたいけど、ブッシュのために死ぬのはごめんだ、と言っていた。

レストランに御用聞きに来る日本人の女性の息子さんが湾岸に出征していった話を聞いた。空港で、それはそれは泣いたそうだ。

ジョン・デンバーの「傷心のジェット・プレイン」を想い出した。

ジュリー・ゴールドの「フロム・ディスタンス」にも随分感銘したものだ。

ボブ・ディランは「答えはいつも風に吹かれてさまよっているのではない。フッと目の前に落ちてくることがある。その時、気がつくか気がつかないか、それが問題だ。気がつかなければ答えはまた風に吹かれて何処かへ行ってしまう」と言っていた。

そんないろいろなことを想い出しながらテレビを観ていた「記念すべき日」だった。