2016年 アイルランドの旅 6 ミルタウン・マルベイ

7月3日、日曜日、いざミルタウン・マルベイ(以下、ミルタウンと省略)に向けて出発。信じられないほどの快晴だ。

途中、バラク・オバマ・プラザという所で軽く食事。ここはオバマ大統領に所縁のある土地らしい。因みにCo.OffelyのMoneygallという所からオバマ大統領の6代祖先がアメリカに移住した、という事実があり、ちょうどCo.Offelyの入り口辺りに位置するドライブインということだ。

様々なファストフード店が並んでいる様子はアメリカでのツァーを彷彿とさせる。決まり切ったハンバーガーやピザの匂い。

来る日も来る日もパディやフランキーと顔を突き合わせ、またこの匂いか、と思ったものだ。

そのときも、ここにうどんやラーメンがあったらなぁとつぶやいていた。

こういうところで一番お得感があって間違いないのはToday’s Soupかもしれない。パンも必ずついているし、アイルランドで美味しくないスープに出会ったことはない…いや、一度あったか。

ダブリンの、普通に高めの値段のレストランで頼んだスープは全く味がしなかった。なにか調味料を入れ忘れたのかな、という感じ。

いやいや、一説によると、テーブルに塩や胡椒が置いてあるのはそのためらしい。基本は作ったから後は自分の好きな味に調整してくれ、ということだ。

そんな常識がまかり通るところもまた面白い。「出汁」という観念は全くなさそうだ。

ともあれ、ここのスープはなかなかに美味しかった。満足。

さて、今日はミルタウンでの大事な仕事が控えている。

CDラウンチに参加して、キアランがEire Japanの紹介を、そしてなんと(何故か)僕がキアランのCDの紹介をするのだ。

それも、きちんと設けられた席で5分以内のスピーチを、オーディエンスに対してしなければならない。

これは寿司をつくるためのレクチャーではありません。といってまず笑いを取り、初めて彼の演奏を他のCDで聴いたときの衝撃、本人との出会いのことなどを話して今回の新しいアルバムの話につなげて行って、最後は「これからの人生のパートナーとして是非このアルバムを」と締めくくって終わった。

後でいろんな人から「いいスピーチだった」と言われたけど、なんだかよく覚えていないくらい汗びっしょりだった。

ただ、他にも沢山(20人くらいだったかな)喋ったけど、もちろんみんな英語が達者で、僕のときにはみんなが本当に注意深く、また、興味深い表情で聞いてくれ、最後に「Please get this album for your life partner」と言った途端にさわやかな笑いと拍手が起こったのは覚えている。

会場ではアンドリュー、ミック・モロニー、キャサリン・マカボイ等と再会。緊張したけど楽しいひと時だった。

7月4日、小雨。なのにアパートの向かいのグローサリーのおばちゃんが野菜や果物を外に並べている。

もうしわけ程度のテントはあるものの役には立たないだろう。ま、いいや。そのうち晴れるだろう。

街角で獲れたての鯖を売っているおっさんもいる。モリー・マローンのおっさん版。

お昼になると教室から戻った子供達が街角のいたるところで演奏を始める。4歳くらいから高校生まで。10メートル間隔くらいでおのおの習ってきた曲を演奏しているが、初心者からとても子供と思えない演奏をする子までが街中に溢れている。

このフェスティバルはそういう子供達のためのもの、という認識をある程度持っていないといけないのかもしれない。

ケビン・グラッケンやジェリー・フィドル・オコーナー等とも再会。

夜になるとあちらこちらのパブからいろんな音が聴こえて来る。しばらくはゆっくり休もうと思っていたが、向かいの閉店したグローサリーの前で4〜5人の演奏が始まった。

時間は深夜12時。それが、この世のものとも思えないひどいバンドだった。リズムボックスを鳴らし、バウロンを叩き、エレキ・ベースとマンドリン、時々しかメロディー(らしきもの)がわからない、メチャクチャに吹いているホイスル。そんな奴らにも立ち止まって聴いている、あるいは拍手までしている人がいるのだ。

ストリートで演奏することの無意味さを感じずにはいられない。2時になってやっとその苦しみから解放された。

7月5日、晴れ。今日は7時からRTEのラジオ番組に出演する。そのためにキアラン君と3人で向かっていると、向こうから見た顔が歩いてきた。杖をつき、誰かに介護されているようだったが、すぐに誰かわかった。

「トニー、トニー・マクマホン?」と声をかけると、やにわに「ジュンジ」とハグをしてくれた。

13年ぶりだろうか。今回、ミルタウンに来て本当に良かったことのひとつかもしれない。

「もう、演奏はできない」という彼に「あなたの音楽はいつまでもみんなの胸のなかに残っているよ」と言うと「うん、ハートはまだあるんだ」とにっこりしてうなづいていた。

ラジオではキアラン君があまり喋り慣れないゲール語で話し、パーソナリティもゲール語だけで話し、僕らはちんぷんかん。

2曲演奏している間にも外をニーブ・パーソンズが、メアリー・バーガンが歩きながら手を振る。

無事終わって一杯ギネスを。キアラン君は2杯でも3杯でもいける。

12時、またしてもひどいものが聴こえて来る。たちが悪いことに、たまに何の曲をやりたいのかがわかるのだ。

もとから即興でなにか違うものをやっているのならともかく「ありゃ、この曲だったのか」と思うとまたとんでもないへんてこなものになる。

4〜5人いてまともなのはリズムボックスだけ、というけったいな現象だ。

7月6日、曇り。今日もRTEのラジオ出演。

特に変わったこともなく、キアラン君と飲んで、いろんな人と会って喋って夜中にひどいものを聴かされて1日が終わる。

7月7日、晴れ。朝、スパニッシュポイントまで片道30分ほどを散歩。朝に弱い希花もしぶしぶ付いてきたけど、馬、羊、牛などを見ながら少しは機嫌がよさそうだった。

海辺にボビー・ケイシーの娘さんが住んでいる家がある。

素晴らしいビーチの風に当たってしばしくつろぐ。

そして、今日はゴールウェイから和カフェの芳美さん(早川さん)がやってくる。なんでも、こちらの方面に雲丹を採りに来るらしいのだ。ついでだから来て泊まっちゃおうかな、というので是非そうしてください、と返事した。

実は去年以来、この日には3人が揃わなければいけないような理由があるのだ。あのゴールウェイでの出来事で3人が経験したことは人生における最も貴重なことだった。

本人からもあれから1年、という感謝のメールが入っていた。しかしちょうどこの日にミルタウンに居て、芳美さんもこちらの方面に出向いて3人が揃う、というのも不思議なものだ。

キアラン君とも初めて出会って意気投合。また飲んで過ごした。途中ジョセフィン・マーシュからテキスト「アンジェリーナ・カーベリーとセッションしているから良かったら来て」という。喜んで出かけた。

セッションをしているその場所のちょっと外になっているところにツバメの巣があって、3匹くらいの子供が口を開けてお母さんが餌を運んでくるのを待っている。お母さんは大忙し。そんな光景を見ながらのセッション。うん、素晴らしい。

最後に「Anna Foxe」を一緒に演奏してパブを後にした。11時半くらいかな。外でコーマック・ベグリーやノエル・ヒルとも出会う。

夜中のひどいバンドはどこかへ消えたのだろうか。今日は居なかった。芳美さんラッキー。

7月8日、降ったり止んだり。芳美さんはゴールウェイに戻った。

夜、アンドリューと大騒ぎ。セッションとパブの飲み歩き。もうハチャメチャで帰ったのが1時半。比較的早かったんではないだろうか。アンドリューは4時半くらいだったらしい。

7月9日、快晴。夕方カーローに向けて出発。

その前にキアラン君がスパニッシュポイントやラ・ヒンチに連れて行ってくれた。海辺でランチを済ませ、カーローに着いたのが9時半くらい。

この上なく静かだ。

この約1週間、いろんな人に再会できたのも、芳美さんと7月7日を過ごせたのも全てキアラン君のおかげだ。

彼に感謝。みんなが元気でいてくれたことにも感謝。とても有意義ないい1週間だった。

忘れていたが、ここで一番よく入ったレストランの名前が「コーガンズ」。なんという名前だろうか。キアラン君に日本語では「コウガン」という、と教えたら大喜びしていた。