今年も無事9月を迎えた。帰国まであと1週間ほど。厳密にはあと5日でアイルランドを離れる。
思えばここの音楽の世界にどっぷり浸かってから25年。希花とこの地に来て演奏を始めて6年。様々な経験をしてきた。
僕はこの音楽をこよなく愛し、できる限り伝統を重んじてきた。それはギタリストという立場において、本当は難しいものだがとても重要なことだ。特にこの音楽では。
しかし、クラシックからフォーク、ブルーグラス、そしてアイリッシュと進み、その間にも様々な形態の音楽を経験してきた僕にとっては、ギターでこの音楽に関わっていく上で何を重んじていくか、ということがよく分かった。
とにかく1曲1曲正確に覚えていくこと。楽器で弾くこともさることながら、歌って覚えること。
そこにどんな和音を当てはめていくか、その最適な道を見出すこと。
それは様々なシーンで経験を積んできた僕にとってはそんなに難しいことではなかった。
しかし、ずっとこうしてやってきて思うことは、これは究極アイルランド人の音楽。どれだけ確実に演奏しようと、どれだけ認められようと、僕らの音楽ではない、ということ。
外国の音楽を演奏している人はどの世界にもいっぱいいるし、そんなことは当たり前のことだが。
また、このようなコアな(言うなれば)音楽に関わっていることであまり頑なになってはいけない。
「こうでなくてはいけない」というところと「これでもいい」という部分が必要だ。
簡単なことのようだが、これが意外に難しい。特に「これでもいい」という部分は人それぞれ違うだろうから。
そこを理解するには幅広い音楽の経験が必要となってくる。
毎年Tunes in the Churchのレギュラー演奏者として迎えられることはとても名誉なことだが、どこか申し訳ないような気持ちも存在した。
最初はセッションに参加することや、いわゆるバスキングもやった。
そのうち、あまりそこには重要性を感じなくなってきた。特にバスキングに関しては。
セッションは、いいセッションであればいくらでもそこに居られるのだが、ちょっとなぁ、と思うところはできるだけ避けたほうがよい。
みんながどれだけ聴く耳を持っているかはセッションの重要なポイントだ。
いや、セッションだけではない。それはどんな音楽に関しても、また、どんな場面に際しても最も重要なことかもしれない。
いろんなところに行って、たくさんの人にお世話になった。宝くじでも当たったらみんな日本にも呼んであげたい。でも買わないので当たるわけも無い。
なので、せめてこの音楽に対してのリスペクトだけは忘れずにいたい。そうすることでくらいしか恩返しができない。
Tunes in the Churchのシーズンラストの演奏も無事終えた。
Cormacは今ダブリンの方で、同じTunes in the Churchのプロデュースをしている。
この企画自体も既に7年目になるらしいが、これも継続するのは結構大変そうだ。来年は果たしてどうなっているだろうか。
僕も、2017年アイルランドの旅というものを書いているのかどうかはわからないけど、なんとか健康で居れたらいいかな、と思っている。
帰ってみなさんのお顔を見るのが待ち遠しいです。