アイリッシュ・ミュージックと音楽の3要素

音楽の3要素は「メロディ」「ハーモニー」「リズム」だということは誰でも知っていることだと思う。

60年ほど音楽に親しんできて、その中でも僕が最も気にするのは「ハーモニー」だ。「メロディ」に関してはすでにそこに存在するものだし「リズム」もその曲のグルーブを決定するものだし。だが、「ハーモニー」に関しては別な意味でどうにでも色付け可能、というところがあるような気がする。

勿論“アドリブ”というところに代表される色付けはすべてに於いて可能性を広げるものではあるが。

長い間、ブルーグラスを演奏してきて思うことは、ブルーグラスはコピーに明け暮れる音楽だったということ。来る日も来る日も、一つの音も逃がすものか、ポジションも正確にコピーすること、などと、ひとりコツコツ練習し、行き詰ると友人たちと電話で、あるいは直接会ってコピー談義に花を咲かせていた。

そうしてコピーにコピーを重ねて、いわゆるブルーグラス独特のリズムである「ドライブ」を習得していく。

ハーモニーに関して、ブルーグラスに於いてはゴスペルも大切な位置を占めるのでこれはかなり高度に抑えておかなくてはならないし、ビル・キースのようなバンジョーを弾きたければとんでもなく複雑なコード進行にも明るくなくてはならない。

フィドルに関してもクラシックからは考えられない和音構成で切り込んできたりするからとても面白い。

間奏で「チャカチャチャッチャ…」というドライブしまくったリズムで切り込んでくる様はブルーグラスの醍醐味だ。プラス「えも言われん不協和音」これで決まりだ。

ブルーグラスはある意味ジャズだ。

アイリッシュに於いてはどうだろう。

もちろんメロディを覚えるためにはコピーという作業も存在することは確かだが、それよりも大切なのはリズムかもしれない。

アンドリュー・マクナマラはこの音楽を始めた頃の僕に「フロウ」ということを盛んに言っていた。

時には滝のように勢いよく流れ、また時にはそよ風のようにやさしく漂う。これがいわゆる「フロウ」なのだろう。

そしてそれは時としてオンビートとオフビートの挾間を行き来するような感触でもあるのだ。ブルース好きのアンドリューの最も彼らしいところだ。

「メロディ」は1000曲に近いくらいを覚えなくてはならない。それは例え伴奏楽器でも同じだ。

ただ、多くの場合単純なメロディが多いので一生懸命コピー、というところまでは必要ないだろう。だが、その単純さが厄介だ。

同じようなところを行ったり来たりしながら7パートも8パートも「どこが面白いんだろう」というくらいの曲も沢山ある。が、しかし、そういう曲に何故か異常にはまることもある。そんな曲を沢山知っていきながら独特なリズムを習得していく。

そして、それは演奏者の出身地によっても微妙に異なるのでそれも厄介なところだろう。

ブルーグラスフィドルでいえば、大きく分けてバージニア・スタイルとテキサス・スタイル。そしてその二つがクロスオーバーするようなスタイル。

ここで主題の「ハーモニー」だが。

アイリッシュを演奏している人が意外に持っていないのがその「ハーモニー感覚」だ。もちろん世界を舞台にしているくらいの連中にはその感覚はあるが、その辺でセッションなどしてみると、おそらくこの人、どんなコードを横で弾かれても関係なく演奏しちゃうんだろうな、ということがよくある。

それが自分中心からくるものなのか、あるいは和音感覚がないので気にならないのか、聞こえないのか、そこのところはよくわからないが、この音楽に伴奏は必要ない、と思っている人もいることも事実だし、僕も究極そう思う。

だが、そこに「にんまり」するような感覚が入ってくるとやはり「にんまり」してしまうものだが、そういう「音楽のアンサンブル」の良さをまったく感じない人も多くいるようだ。

なので、アイリッシュのセッションでは「みんなで弾けて楽しい」=「自分が弾けて楽しい」というところにとどまっている人が多くみられる。

僕は音楽イコール「アンサンブル」であり「会話」であると感じているのでそういうのは非常に淋しく殺伐なものと感じてしまう。

そして、ハーモニー感覚の無い人に限って、自分の感覚で「この音楽には伴奏は必要ではない」などとわかったようなことを書いたりする。

だが、それが言えるのは、少なくとも99%くらいの確率で確実な伴奏を出来る人のみだ。

「ハーモニー」の感覚を養ううえで最も役に立つのはやはりクラシック音楽だろう。そしてヨーロッパ方面のロック。彼らの音楽には特にクラシックの要素が多分に入っているような気がする。

Amazing Blondel, King Crimson, Matching Mole, Fairport Conventionなど、随分聴いてきたものだ。もちろんEL&Pも。

その上で荒々しいアメリカのロックも、聴いてきたものを挙げればきりがない。そしてポップスもブルースもジャズも「あ、これ!」と思ったらレコード盤が擦り切れるくらい聴いてコピーしてみたり「あ、無理」とかいろいろ試してみた。

僕がこの音楽の伴奏楽器を担当するうえで、それらはとても役に立っている。間違いではないけれど使ってはいけない和音、絶対に使ってはいけない和音、使ってもいいかもしれない和音、まさにここで使うべき和音、後に残しておくべき和音…“ハーモニーおたく”としてはどんな時でもそれは考えていたいものだ。

僕と省悟は、お坊さんのお経にも、電車のアナウンスにも、デパートのアナウンスにも必ずハーモニーを加えてみたりした。はい、今度はマイナー、7th 行ってみようか。7th が出たら9th は必須だ。Sus4なんかも。お経にマイナー7th はなかなかに気持ち悪い。マイナーからメジャーに行けばそれは「遥かなるアラモ」だ。そんなつまらない冗談も役に立つものだ。

音楽の3要素はアイリッシュに於いてもとても大切なものだし、なくてはならないものだ。その上に生活に根差したものでなくてはならないのだ。

自分自身も含め、とても偉そうなことは言えない。