2018年アイルランドの旅 7

710日(火)又しても早朝から眩しい光が降り注いでいる。猫の食事を与えた後、キアラン君が昨夜回した洗濯物を干しに庭に出ると、気持ちの良い風が吹く。ここが日本と違うところだろう。

遅くにデイブ・シェリダンと戻って来たキアラン君。2人で2本のワインを開けたらしい。デイブはまだ寝ている。以前パディが泊まった部屋なので僕らはパディ・キーナン・ルームと呼んでいる。

人の出入りも多くなって、いよいよ始まっているんだな、と感じるし、キアラン君も8時半までに起きてこなかったら叩き起こしてくれ、と言っていた。今日も忙しいはずだ。本当は

またまたゆっくり話し込んでいる。もちろん仕事の話もしているが半分くらいはなんだかたわいもないことを話しているような感じだ。

そのたわいもないことの中にも時として大事なことが隠れていることもあろうから一概に無駄とは言えないが。確かに間違いなく無駄、ということもある。アイルランド人はよく最後の最後に頑張る、というが、単にしわ寄せが来ているだけのような気もする。

それにしても長話をする人たちだ。忙しいんじゃなかったっけ?

明日のワークショップの準備をする。ギターは非常に教えるのが難しい。

ギターは簡単、3つくらいのコードが弾けて、曲は知らなくてもいい、というなんとも貧弱な音楽経験を持っている人も多くいるようだが、周りにいいミュージシャンがいなかったんだろう。

あるいは本人が音楽を奏でる価値のない人間か。

何はともあれ、ギタリストは多くの種類の音楽に精通していなければならないし、本当によく音楽というものを理解していなければ成り立たない。

僕はよくセンス8割、残りの2割で100パーセントの努力を惜しまないこと、なんてわかりにくいことを力説してしまうが、そのセンスの部分というのはなんとも教えにくいものだ。

GからCに行く前にG7を入れるかG9を入れるか、そこに更に上の5度を加えるか、この曲には合っていても他の曲には合わないし、次の小節の頭の音によっても、相手の楽器によっても、感性によっても変わってくる。常にそんなことを考えていなければならない。

これはもうセンスの問題だ。曲を知らなければできないことだし、音楽というものを理解していなければできないことでもある。

そういう人間に出会ったことのない人には到底想像もつかないことだろうが、如何せんこれはどうにもならないことだ。

とやかく言っていないでワークショップに精を出そう。

少しワインを飲みながら夕陽を眺める。時にそろそろ午後11時。