RINKA、トゥレップ楽団、渡辺夫妻、平塚研太郎

氷点下を大幅に下回った3月上旬の札幌。それでも飛行機は予定通り千歳空港に降りたった。

早速、旧知の友である国柄氏と、札幌の老舗アイリッシュフィドラー、小松崎操さんが出迎えてくれた。

千歳から札幌市内までは随分距離がある。その昔、しょっちゅう来ていたからよく知っている。

初めて北海道に飛んだのは、9月も終わりかけた頃。‘73年くらいだったかな。

ぺらぺらのウィンドブレーカーを着ていた僕に、高石氏が「あなた、そんな恰好じゃぁ死にますよ」と助言してくれたが、まだ若かった当時、秋ということもあり、全然寒さを感じることは無かった。

北海道育ちの彼にとっては、もう冬に向かう季節。何が起こるか分からないということなんだろう。

今回はさすがに冷たい風が吹いていた。空港のまわりの景色を見ると、パディ・キーナンと一緒に行ったカナダのカルガリーを想い出した。

しばし歓談。昔話に花が咲く。とは言っても僕にとって操さんはほとんど初対面といってもいいくらい。やっぱり北海道は遠い。彼女ほど長くこの音楽を演っている人でさえ、あまり会う機会がなかった。

一見のんびりしたそよ風みたいな人だが、きっと底知れぬ信念とパワーを持ち合わせているに違いない。

まれかのフィドルの弓の調子が今ひとつなので、修理のために“操さん御用達”のヴァイオリン屋さんに立ち寄る。

そして、“のや”というレストランで食事。ここが素晴らしい。何がって?北海道に来たら一度は寄るべき場所のひとつであることは間違いない。

料理も限りなく美味しいし、信じられないほどの建築技術を持ち合わせた、オーナーの川端さん自ら建てたという内装も驚きのひとつである。

この人、奈良の大仏さんクラスのものも作れるんじゃぁないか、と思う。マーテイン・ヘイズと一緒に演っているデニス・カヒルをこじんまりさせたような、これまた秘めたるパワーを持ち合わせた人である。

今日はゆっくり休むことにして、明日は本番前に国柄氏の家で少し練習させてもらうことになっている。

さて次の日、2匹の猫が出迎えてくれた。とても人当たりのいい猫たちだ。続いて国柄氏の奥さんが登場。この人パワー全開だ。

過去に重い病気を患ったことがある、と言っておられたが、その分生きるということの大切さや、人情というものを本当によく知っている人だ。またまた北海道パワーに目を見張る。

息子さんも登場。しっかりした展望を持ち合わせた若者だ。近くギターのリペアーを生業として生活するそうだが、きっといい職人さんとして内外に知れ渡ることだろう。

さて、会場に出向くと操さんと一緒に演っているギタリストの星くんが出迎えてくれた。

今日は音響屋さんも担当してくれるそうだ。

少しだけ音をチェックしている間にも、彼らの友人達が忙しく動きまわってくれている。“お顔は覚えていま~すが、お名前だけが想い~出せない”というひとが一杯いる。ごめんなさい。

まず、操さんと星くんによる演奏。RINKAというこのデュオはアイリッシュ・トラッドを基盤にしてオリジナル作品なども手がける、実に芯の通った音を演出する二人だ。

操さんのフィドルプレイにも“心”を感じるし、星くんのギターとブズーキも絶妙な絡みで、ふたりが創るべき音楽の世界を熟知している伴奏を聴かせてくれる。

しばし、北の大地で胸が熱くなる想いを抱かせて頂いた。

僕らの演奏では久々の“とし子さん”の参加もお願いすることが出来、その素晴らしく力強い歌声を聴かせてくれた。

お兄さんは人見知りの激しいシャイな人だが、彼女は明るい社交的な人。地元の民謡クラブのようなところで(すみません。詳しくは知らないので)太鼓を担当しているらしい。

終わってからセッション。打ち上げでは久しぶりに平塚研太郎君とお会いした。彼とは‘85年に一緒にツアーをしている。

僕が最も尊敬するブルーグラッサーだ。もともとマンドリン弾きだったような記憶があったが、ある時からそのフィドルプレイにぶっ飛びっぱなしになった。

それもその筈。ナッシュビルでは、かのフォギー・マウンテン・ボーイズのフィドラー、ポール・ウォーレンの息子であるジョニーとツインフィドルで活躍、またローランド・ホワイトのバンドにも参加。そして、なんとカントリー・ガゼットからも熱烈なラブ・コールを受けたという、筋金入りフィドラーだ。

音楽はブルースだ!苦しみだ!悲しみだ!その上で自らが生きていかなければならない手段のひとつとして選んでしまったものを、軽々しく演奏できない。ましてや、他人のことをとやかくいえるものでもないし、そんな暇があったら自分の腕と心を磨いたほうがいい、と、そこまでは口では言わないが、長年に渡る彼の力強い生きざまを感じる会話を楽しんだ。

その間に、地元でずっとオートハープを演奏して歌っているという渡辺さんの奥さんが歌ってくれたが、そのオールド・タイム・フィーリング溢れる歌声に度肝を抜かれた。

まるでブルーリッジ・マウンテンが目の前に迫って来るような歌声に酔いしれてしまった。

研太郎とは帰る前にまた会う約束をして、遠方からわざわざいらしてくれたとしこさんにも挨拶してその晩は休むことにした。

 

またまた国柄氏の車でお昼ご飯を食べに一路“ジャック・イン・ザ・ボックス”へ。今日は奥さんも一緒だ。車の中は一層にぎやかになる。

お店では営業時間にも関わらずセッションをさせてもらった。田澤夫妻によるブズーキとコンサルティーナ、料理も作りながら素敵なアコーディオン演奏を聴かせてくれた  高倉さん。それに、そよ風操さん。

素敵なひと時でした。

そして苫小牧へ。途中“ウトナイ湖”に立ち寄ると希花が「ウトナイ…ナイトウ…ウトナイ…ナイトウ」とうなされた様に繰り返す。

白鳥が飛んでいた。

今日は日曜日だが、今晩演奏するところは“月曜の朝”というユニークな名前を持つお店だ。

到着すると、さっそく高橋さん、中原さん、滝さんという3人組“トゥレップ楽団”の面々が出迎えてくれた。

お店のオーナー夫妻も素敵な人達で、その人柄がにじみ出たような明るいスペースにしばしゆっくりコーヒーでも飲みたくなった。が、星くんがわざわざ札幌から音響機材を持ってきてくれている。

僕らも仕事、仕事!

“トゥレップ楽団”の歌と演奏が始まった。歌を、音楽を愛して止まない3人が創り出す世界は、この大地が育んだものであり、彼らの音楽はその大地への恩返しのような神聖なもの、という感覚にもなった。

ここでも沢山の人に支えられてコンサートも無事終了することが出来た。終わってからも短い時間ではあったが、ブライアン・コノリーという素晴らしいフルート奏者ともセッションができて、またまた音楽を堪能した。

今晩は渡辺さん夫妻の家に泊めて頂く。

そこで、実に多くのオールド・タイム演奏家たちとの交流に関する話しなどに花が咲き、やっぱりそれなりに凄いことを長年に渡ってやってきている人たちなんだなぁ、ということを再認識させられた。

燻製のシカ肉や何十年もののチーズなど、いっぱい用意してくれたが、“あー、若い時だったらもっとたべられたのになぁ”と思うと残念だ。

歳寄りはあんまり遅い時間に沢山食べたら次の日がつらいのである。

 

朝はご主人が美味しい朝食を作ってくれたが、どうやら昨日から奥さんは風邪を召していたらしく、朝から用心のために病院へ行ったそうだ。

こんなに寒ければ誰でも体調を崩したりすることはよくあるだろう。昨夜、外の気温はなんとマイナス11℃を下回っていたらしい。

研太郎の工房兼住居へ。

途中ケンタッキー・フライド・チキンで食糧をゲット。その昔、酪農大学の学生だった頃の彼が、フライド・チキン21ピースを一度に食べた話は有名だ。今ではせいぜい5ピースくらいだろう。

工房に着くと、いかにも職人といういでたちで研太郎が出迎えてくれた。久々にケンタッキーを頬張る研太郎が見れそうだ。

いやいや、そればかりではない。今日はたっぷり彼のブルースを聴かせてもらうのだ。それに、楽器修理工としての彼の楽器に対しての接し方もツボを抑えた部分と、彼独自の見解があり、聞いていてとても楽しい話をしてくれる。

そして、ひとつひとつの音を大切に、またその曲の持つストーリーをも考えながら弾く彼のスタイルには脱帽だ。

5時間にも及んで、バンジョーでも素晴らしいスクラッグススタイルを聴かせてくれ、じっと待っていてくれた国柄氏をも感動させてしまう研太郎は、やはりただ者ではなかった。

途中、渡辺さんが寄って、奥さんの症状をかるーく伝えて行ったが、将来の医者である希花に「それって立派なインフルエンザですよ」と言われていた。

でもきちんと病院には行っているので、もう回復して“West Virgi~nia♪”と歌っているに違いない。

北海道にはパワフルな人が多い。自然とそうなってしまうのだろう。決してそれが特別なことでもなく、僕の知る限りではごく自然体として音楽に携わっている。

そんな意味ではアイルランドと一緒だ。

研太郎のブルース・フィーリング溢れる演奏も、操さんの風のようなフィドルも、星くんのつぼを得たブズーキやギターも、トゥレップ楽団の楽しい音も、渡辺さんの心に響く歌声も、みんなみんな音楽と自然からの恵みを感謝していただいているものだった。

そして彼らをとりまく人達も彼らと大自然と共に生きているように見えた。

北の大地と皆に感謝。

 

2012年 3月10日