日本のファンにはあまり馴染みのないコンビかもしれないが、それもその筈。彼らがコンビを組んでいたのは‘96年か‘97年頃のほんの短い期間だった。
アシーナはサン・フランシスコ出身のフィドラー。初めて彼女を見たのは、多分彼女がまだ17歳くらいの頃、メンドシーノという北カリフォルニアの小さな町で、ラーク・イン・ザ・モーニングという大民族フェスティバルの最中でのことだった。
若くてとびきり美人のフィドラーである彼女は華麗なる超絶テクニックで他を圧倒していた。
聞くところによると、スコティッシュ スタイルのフィドリングをアラスデァ・フレイシャーに師事したチャンピオンフィドラーらしい。
その凄まじいパワーと美貌には目を見張るものがあったが、生まれつきの性格の明るさで、誰とでもすぐ仲良くなれる彼女。いつしかよく一緒にセッションに出かけるようにもなった。
かなり激しくインプロビゼイションも披露するが、彼女の持つトラッド フィーリングはさすがに幼いころからしっかり伝承音楽を学んできただけのことはあった。
その彼女が25歳くらいの時だったか、アイルランドに移り住み、若手フルート奏者を連れてカリフォルニアをツァーするという時、彼女はすぐ僕に電話をくれた。
そしてやってきたのが、ハリー・ブラッドリー。
シェーマス・タンジーをこよなく尊敬する、というベルファースト出身の若くパワフルなフルート奏者。
30分位かるく打ち合わせをしただけで、その小気味よいタンギングに身体が自然と動いてしまう感覚になった。そしてそのままツァーに出発。
道をよく知るアシーナがフリーウェイをすっ飛ばす。
途中「あら、パンクかしら」というと路肩に止め、すぐにタイヤを交換しはじめた。僕とハリーよりもすばやく行動する。
そこへ後ろからパトカーが接近してきた。そしてすぐ後ろに止めて様子をうかがっている。
アシーナが手を振ってとびきりの笑顔で「ハイ!タイヤ変えてるの。今すぐ出るから」と、まるで友達にでも話しかけるように愛嬌をふりまく。
あまりの美貌と愛想の良さで、ポリスもにこにこして見守ってくれている。無愛想なおっさんだったらチケット切られそうなのに。
無事フリーウェイを抜け、田舎道に入る。制限速度が40キロのところを、軽く100キロを越えて涼しい顔をしている。
今思えば、アイルランドの田舎道の制限速度は80から100キロ、あるいは制限無しだった。が、ハリーは助手席で震えあがっている。
「アシーナ、あんまり飛ばさんでくれ」
「えっ、なんか言った?じゅんじ、チョコレート食べる?」常にこんな調子だ。
彼らとの演奏は、いかにも若手凄腕ミュージシャンらしく、力強い小気味のいい鋭い切れ味に終始していた。
あたまから、Gentle Dentist/Considering Glove/Paddy Fahey‘s #25/Flowes of Redhillのセットですっ飛ばす。
アシーナが髪の毛を振り乱し、腰をくねらして思い切り弾きまくる。ハリーが力強いタンギングを繰り返す。
ハリーのポルカもアシーナのスコティッシュチューンも強烈だ。
ほんの数時間前に出会い、30分ほど打ち合わせしただけなのに何人もの人が「何年くらい一緒にやっているの?」と聞くぐらいに僕らの息は合っていたような気がした。
ハリーのフルートワークショップには僕も伴奏で加わったが、彼のかなりきついアイリッシュアクセントがカリフォルニアの人達には難しいようで、僕が通訳をしてあげたくらいだった。実際には僕にもかなり難しかったけど…。
3人でヨセミテの近辺まで行った時のこと。
長年に渡るアシーナの両親の知り合いの家に泊めてもらったが、深い山の中にポツンと、そう、大草原の小さな家みたいなところ。もと筋金入りのヒッピーという、80歳をこえた老夫婦がひっそりと、しかし、力強く暮らす家だった。そういう意味では今でも充分過ぎるくらいのヒッピーだ。
見たこともないくらいに沢山の星が降り注ぎ、家の中を野生の鳥が飛びまわる家。あたりは真っ暗で、時折コヨーテの鳴き声が聴こえる、そんな家だった。
朝早く起きてみんなで散歩をした時のこともよく覚えている。
おじいちゃんが近くの池に連れて行ってくれた。そして「ここは気持ちいいぞ」といってあっというまに素っ裸になってドボン!それをみた水泳大好き娘、アシーナも慌てて素っ裸になってドボン!
目のやり場に困った僕とハリーでした。
すっ飛ばし屋のきゃぴきゃぴ娘、アシーナ。最近流行りのユーチューブでその姿を拝見した。
ハリーとは、2000年頃(正確ではないが)彼がポール・オシャナシーと二人でやっていたころに再会することが出来た。
二人とも今ではすっかりベテランミュージシャンだ。