CD制作後、少し時間が出来たので、突然アイルランドに行くことを決めたのが3月ももう終わりに差し掛かった頃。
取り急ぎキアラン君に連絡をして都合を訊くと「そりゃぁいい。いつでもOK」という返事が返ってきたので即決してしまった。
ほんの2週間ほどの旅なので気楽に考えることができたのも事実だ。
香港経由でダブリンに到着すると、吐く息が白いくらいによく冷えていた。
早速よく乗り慣れたバスでカーロウのポールスタウンに向かった。
バスの中で今度はテンカンの患者が出たので一時ストップ。偶然居合わせた看護師の黒人女性と希花さんで緊急手当。
余計な人が周りを囲んで「彼は大丈夫」なんてなんの根拠もないことを口走るおばさんとか、
邪魔な処に立ち尽くして覗き込もうとするおばさんが出現。
こういう時に最悪の事態を想定せずに「大丈夫」なんて言う考えを持つのが最もよくないことだ、と戻ってきた希花さんがプンプン。
結局やっぱり15分ほど経った後で現れた救急車に一旦乗せられたものの彼は戻ってきた。
どうやら持病のようで幸い処置も良かったし、もしかしたらお金の掛かる救急車には乗りたくなかったのか、よくわからないが、大事に至らず取りあえずよし、としよう。
こちらも予定が狂ったのでピックアップしてくれるはずのこちらに住む、しかもカーロウに住むれいこさんに連絡。カーロウの市内で再会を果たし、一路キアラン君の家に。
しばし歓談しているとどこからともなく白い猫が…。
まるで久しぶりに孫を見るような感覚で「まぁ、大きくなって」と思わず叫んでしまった。
それからは結局、怒涛の2週間。
キアラン君とコミュニティセンターで演奏したり、地元のパブでのセッションで演奏したり、マット・クラニッチ夫妻が僕らに会うためだけに2時間半ほどかけてきてくれたり、カーロウでも充実した時間を過ごし、そして僕らは数日後、クレアに向かうことを決めた。
フィークル。フェスティバル時以外は人も歩いていない村。ここで水曜日には必ず演奏をしているマーク・ドネランというフィドラーは希花さんの最もお気に入り。
以前、葉加瀬太郎がテレビ番組でこの地を訪れて「あなたにとって音楽とはどういうものですか?」と訊いたら「……そんなこと考えたこともない」とキョトンとして苦笑いした彼だ。
この日はちょうどアコーディオン奏者とのふたりだけだった。
マークが僕を見つけると「あ、ジュンジだ。ギター持ってるか?」と云う。
結局、希花さんと僕、それにアメリカから来ているベッキーというフルートの女性、この3人だけが交じっての3時間ほどのセッション。
この瞬間だけでも飛行機代を払ってアイルランドまで来たかいがあったと云う希花さん。
勿論、今までにもフェスティバル中になんども彼とは演奏する機会があったが、これだけの少人数で彼と弾けるチャンスはなかなかないのだ。
そして何よりも、終わった後の「今日、僕たちは全く同じリズムだったなぁ。実に気持ち良かった」と、嬉しそうに言うマークの顔。これだけで値千金だ。
アンドリューは僕が彼の家に宿泊するので遅くに来て、カウンターで飲んで聴いていたが嬉しそうにしていた。
もう一軒行こうというアンドリューとマークの車に乗ると、また彼が「いいリズムだった。みんなの息がピッタリ合っていたなぁ。またできたらいいなぁ。」とニコニコして云っていた。
結局1時半頃アンドリューの家に戻り、僕は彼のお母さんが使っていた部屋で眠りに就いた。やっぱりここは僕にとってのある意味、故郷であり聖地である。
希花さんはベッキーの家に。
次の日のお昼はアンドリューが庭師を務めているBunratty Castleという有名なお城に招待されているのでそこに出掛けた。
さすがに超有名なお城だけに人も多かったが素晴らしい景色にうっとり。1425年ころに建てられたというこのお城。前を通ったことはあったが入ったのは初めて。
招待してくれたアンドリューに感謝だ。
そして更にアンドリューとは夜、セッション。以前会ったコンサーティナのヒューとバンジョー弾き(名前が聞き取れなかった)とまたまたいいセッションを展開させてもらった。
次の日は一路ゴールウェイに。
和カフェがリフォームしたので芳美さんに会うためだったが、少し時間があったのでれいこさんの知り合いの家に寄ることにしたのだが、それがなんとフランキーのご近所さんなのだ。
ちょっと出来心で電話をすると「今からシャワーを浴びてすぐ行くから待ってろ」と言い、本当にすぐに現れた。フランキーとはそこでしばらくお茶をのんで歓談。
夜はパット・オコーナーが是非と云うのでゴートまで出かけてセッション。10時からなので2時間で終わるだろうと踏んでいたが結局1時半頃まで。鹿児島から来て現在ゴールウェイに住むバンジョーの久保君と、以前教会のコンサートで一緒に演奏したアコーディオン奏者と共に過ごした良い時間だった。
全てにおいて限りなく充実した西海岸ツアーだったと云えよう。
そしてカーロウに戻ると比較的近く、ティペラリーに居るパディ・キーナンが会いに来ると言うが、ちょうどボリスという小さな町でお祭り(Co.Carlow Fleadh)があり、多くのミュージシャンが集まっているのでそこに顔を出すことを決めた。
パディほどのミュージシャンになるとこういう場所にはなかなか現れることもないが、彼も僕らが行くというので喜んで付いてきてくれて、思い切りイーリアンパイプスをかき鳴らしてくれた。
あるおじさんがうれしそうに「‘70年頃、どこそこで観て以来だ!」と云っていたが、おなじような台詞を僕も何度も聞いたことがある。
そんなこんなで2週間があっという間に過ぎてもうすぐCDが出来上がってくるはず。
取りあえず強度の時差ボケで昨日のことだか今日のことだかなんかへにょへにょなのですが、しばらく出かけていました、という報告まで。