何故か偶然この暴動の時のことをテレビで放映していた。こんな時期だったのかなぁと思って調べてみると発端は1991年の3月3日のことだった。
何故テレビで取り上げられていたのかは分からないが、僕はその時のことをかなり鮮明に覚えている。
あのトラックドライバーが暴行されたシーンは、暴行を受けていたのが僕の親しくしていたコロラドの友人によく似ていたのでなんとか彼に連絡を取りたかった。
彼はトラックドライバーだったのだ。
結局彼はあの日ニュー・ヨークの方に居た、ということが分かった。
僕はというと、あの日(暴動が起きた日1992年の4月29日)ジャパンタウンで知り合いのパーティがあり演奏を頼まれて出かけていた。
会が盛り上がってきた頃アナウンスがあった。みんなすぐ家に帰るように。この会は中止だ。
そんな内容だったが僕はこの時初めての言葉を聞いた。それは「curfew」という言葉だった。
どういう意味?と尋ねると、日系人のおじさんが「戒厳令だよ。ロスで暴動が起きているらしい」と教えてくれた。
サンフランシスコでさえそんな状態だったのでロスのそれはひどいものだった。
やがてロドニー・キングの演説によって収束するまで、僕らもとても他人ごとではなかったのだ。
すぐ隣にあった韓国人の経営するグロッサリーは店じまいをしていたし、おちおち道路を歩くこともできなかった。
しかし、彼の演説は素晴らしかった。聞くところによると、演説を勧めた弁護士が原稿を用意していたが彼は自分自身の言葉でそれを行った。
「仲良くできないのでしょうか?」という問いかけは素晴らしかった。
酒浸りの父親に暴力を振るわれ、学校にも行かず、地元の不良仲間とつるんで問題ばかり起こしていた彼が自らの言葉で素晴らしい演説をしたのだ。
しっかり教育を受けているはずの我が国の政治家は、自分に都合の悪いことは隠しまくって、御付きのものが用意した文章でしか喋らない。
それで「説明責任は充分果たした」などと、大嘘をついてどこかで美味しいものを食っていやがる。彼らがテレビに出ていると吐き気がする。
そんな連中には到底及ばないことをロドニー・キングがやったのだ。僕はあの演説をテレビで観ていた。涙がでるほど感動した。
あれからもう30年近く。それでも世の中は混沌としているように思える。