古希

2019年、12月30日に古希のお祝いを京都の都雅都雅さんでやっていただく。その一日前に静岡にも行く。ここには高校時代の友人も沢山いるから彼らもみんな古希だ。

思えば静岡と云う土地に生まれ、それも何と忙しい時に生まれ、まだ世の中が白黒だったような頃(希花さんが僕らの時代の写真を見てそういうのだ)母の勧めでピアノを始めた。

結構裕福な家庭だったことは確かだ。

高校時代にフォークソングに出会い…とは言えども、すでに小学校高学年の頃にはブラザース・フォアを聴いていたのでかなり早い時点からそういったものには興味があったようだ。

ほどなくしてブルーグラスにノックアウトされ、当時見ることも出来なかったバンジョーに心が躍ったものだ。

京都産業大学でブルーリッジ・マウンテン・ボーイズに入部し、ア法学部と云われていた法学部の勉強はそっちのけにしてバンジョーの練習に明け暮れた。

高石さんと出会ってナターシャーセブンを始め、日本では訪れていない県はなくなった。

京都の仲間たちは未だに僕の面倒をよく見てくれているし、日本のあちらこちらに今でも笑顔で迎えてくれる人が沢山いる。

東京方面でも来年の2月8日にWindⅡというサークル名で、ずっと省悟と僕のコンサートをプロデュースしてくれた友人たちが古希のお祝いコンサートを主催してくれる。

本当に有難いことだ。

そしてその日に合わせて新たなCDまでプロデュースしてくれた。

それを僕は長年、自身のギタープレイの代名詞となってきたChaplin in New Shoesで始まるインストアルバムに仕上げた。

そんな感じで静かに古希を迎えようとしている今日この頃。

昔は70まで生きるなんて希なことだったという意味で、稀と云う字を使ったということだが、今は希望を持たせる意味で、希という字を使うんだろうか。

何はともあれ、若かったころには想像もつかなかった自分の70代とは一体どんなだろう…?