2011年 アイルランドの旅~エニス その3~

今日は、午後2時にブレンダン・ベグリーと市内でおち合い、そのままケリーまで連れて行ってもらうことになっている。

まだ充分時間があるので、宿泊先に荷物を置いてまたバスキングに出かけて昼飯代を稼ごう、という話をして、いざ街に出かけた。

バスキングの場所選びもなかなかに大変だ。ちょうど街の中心部、オコンネルの像が立っていて目の前が車のロータリーのような広場、人の行き来もあり、邪魔にならないところが空いていたので、即そこに決定。

ギターとフィドルのチューニングを合わせ、早速リールからスタート。

早くも興味津々見つめる人、にっこり微笑んで通り過ぎる人、それぞれにコインをフィドルケースに落して行ってくれる。

オーイン・オニールが通りかかった。急いでいるらしく、にっこり笑ってコインを入れながら足早に去って行った。

さぁ、次は何をする?あれしようか、あれ。最近どうも“あれ”が多すぎて我ながらいやになってくる。

それでも「あー、あれですか」と大体分かってくれるから気心知れたパートナーとは有難いものだ。

最近では何百とある曲の中で“あれ”という前におなじ曲を頭の中で考えていることが多くなってきたように思う。

ジグを始めた。“O’gallagher’s Frolics/Winny Hayes/Rolling Wavesの3曲だ。

これから先に起こった出来事については、いろいろなところですでに話しているので簡単に書いておこう。

「もう歳がいって、おじいちゃんまた同じこと言ってる」、といわれたくないので、一応念のために。

まだ最初の曲が始まって間なしの頃、一台の車が目の前に止まった。中には初老の男と少し若い女。

眼鏡をかけた、恰幅の良さそうな男がこちらに向かってにこにこして手を振っている。

まれかに「知ってる人?」と訊くが、首を横に振る。僕も見たことない人だし、きっと音楽をやっているか、よっぽど好きな人か、そのどちらかであろうという判断で、特に気にせず長いセットを終えた。

それでもまだ目の前にいるので、一応確認のため車に近づくと彼が言った。「じゅんじ、久しぶりだな」

僕は面喰って訊いた。「どこかで会いましたっけ」彼は言った。

「俺だよ。トミーだ。トミー・ピープルスだよ」

なんと、以前一緒にステージに立ったことのある、アイリッシュ・フィドラーの代名詞ともいえる人物、トミー・ピープルスだ。

10年にもなるだろうか。すっかり風貌が変わっていて、全く気がつかなかった。そして、横に座っていたのが彼の娘で、これまた有名なフィドラー、シボーン・ピープルスだったのだ。

まれかはそそくさとフィドルをしまいはじめた。

その後姿にはこう書いてあった。「冗談じゃぁない。先に言ってよね」

そういえば、ブレンダンが前の日、ゴルウェイでトミー・ピープルスとのショーがあるからその帰りにピックアップしてくれる、と言っていた。

トミーも僕が来ていることをブレンダンから聞いていたに違いない。

ゆっくりと発進してゆくトミーの車を見送りながらも、まだ信じられない表情をしているまれかに「金も入ったし、昼飯の時間だし、なんか食いにいこう」と言うが、ま、無理もないだろう。初めて見た“動くトミー・ピープルス”にあまりに感動してしまったせいか何も喉を通らないようだ。

それでも近くで日替わりスープとソーダブレッドを注文して、しばらく時間を潰す。まだお米が食べたいとは思わない。

初めてアメリカを旅した時、20代後半で、丸々1週間ハンバーガーでも平気だったのに、もう今や一日に一度は醤油味が欲しくなったりする。

どんなに素晴らしい料理よりもお茶漬けのほうが良かったり、やっぱりルーツに戻りつつあるんだろうなぁ。

そろそろブレンダンとの約束の時間になる。約束の場所で待っているとほぼ時間通りに彼が現れた。

一年前と同じ白い車に、寝袋やら毛布やらを一杯積んで。彼はギグに行ってもほとんどB&Bなどには泊まらない。車の中で寝る。

車の方が無駄なお金を使わずに済むし、気が楽だそうな。パイパーも変わっているが、アコーディオン奏者にも変わった人が多い。

日本から連れてきたフィドラーだと紹介し、彼女に、歴史と共に育まれた本物のアイリッシュ・ミュージックを伝授してほしいと伝えた。

さぁ、いよいよケリーだ。

明日から、いや、今晩からまた眠れない夜が続くかもしれない。