ブレンダンは、緑深きケリーの道を軽快にすっ飛ばす。やがて、おそらくケリーで一番の観光地であろう、ディングルに着いた。
少しだけ用事でレコード店に寄るということなので、僕らも同行したが、その店のおやじは俳優のニック・ノルテそっくりの顔で、アコーディオンを弾くらしい。因みに、顔とアコーディオンの関連性は全くない。
店もそこそこ繁盛していて忙しそうだ。大抵はアイリッシュ・ドリンキング・ソングのCDや楽譜本を買い求める観光客が相手だろうが。
ここには、また来てバスキングすれば食費くらいは稼げそうだ。
再びブレンダンの車に乗り込み、ディングルを北上すること、20分程。もう観光客風情の人は見当たらない。
アン・ボハーという看板を右に曲がってさらに15分くらい行くとブレンダンの家が見えてくる。
アン・ボハーというのはパブ兼B&Bの名前だ。10年ほど前、初めてブレンダンと会ったのがそのバーである。
嬉しいことに、この辺の景色はなにひとつ変わっていない。たしかこの辺に羊が座っていた、なんてことも変わっていなさそうだ。
道脇の羊や牛を眺めながら、やがてブレンダンの家に着いた。荷物を下ろす間もなく、彼が泳ぎに行くと言う。
歩いても行けるところだが、再び車に乗り込み船着き場(というほど大きくはない)のようなところへ行ったかと思うと、さっとショートパンツに履き替えて、そのままドボン!
そういえば、今日が3日目。そろそろ野菜を食べなければいけない時にきている。ブレンダンの家に居る間にせっせと野菜を食べておこう。
ところで、今晩はブレンダンと共にパブで演奏だ。早速、ケリー特有のポルカやスライド、それもとことん本物の演奏を体験できる。そして、歌も。
普通のセッションとは違って、この経験は若いまれかにとっておおきな財産となるに違いない。
それに今夜はブレンダンの末息子の高校生、カフード(英語名ではなく、アイルランド名なので上手く発音できないが)も一緒にアコーディオンを弾くことになっている。
ラグビーの選手という彼。とんでもなく大きな体と太い腕で、スピード感溢れる演奏を聴かせてくれる。 レパートリーは沢山持っていないし、練習は全然しないということだが、その驚異ともいえるパワーとテクニックについては前から知っている。
24歳のまれかの3倍ほどもあろう17歳のカフード。これは面白くなりそうな気配がする。
パブは結構な大きさだが、いっぱい人が入っている。また、この辺に羊や牛以外の動物がこんなにいたのか、と思ったら笑えてきてしまった。
力強い。スローエアーでさえも胸が痛くなるほどの美しさのうえに、限りなく力強い。 そんな演奏も一旦終え、休憩に入った。
カフードはジュースと携帯電話を持って外へ。ブレンダンもビールを持ってカウンターへ。僕とまれかはそのまま残っていたが、そこへどうやらブレンダンをよく知っているらしいおじさんが現れた。
いや、おじいさんといってもいいくらいか。それとも結構酔っ払っているから足元がおぼつかないのか。兎に角典型的アイルランド人のそのおじさん。
ふらっとブレンダンのアコーディオンの前に座ると、徐にストラップに腕を通した。そして突然弾き始めた。
その上手いこと。もはやその辺の酔っ払いのレベルではない。
そんなことがどこにいても起こりうるから、この国はすごい。それが小学生だったりすることもよくあるのだ。さすがに酔っ払ってはいないけど。
そんな風に、ケリーの最初の夜が更けていった。