2011年 アイルランドの旅 ~エニス その2~

朝食を済ませ、いざ街へ。

今日の目的は、この町で最も有名な、というか一つしかないのかな、多分。カスティーズという楽器屋さんに行くことだ。

論、今までにも何度も行ったことがあるし、店のオーナーから従業員まで、全て親戚縁者一同(厳密に言えばそうとも言えないのかもしれないが)だし。

店の規模はとても小さいが、クレアを訪れるミュージシャンから地元のミュージシャンまで、必ず立ち寄る聖地みたいなものだ。そういう意味で言えば、お客さんとしてのミュージシャンも全員、親戚縁者一同みたいなものだろう。

所狭しと並べられたギター、バンジョー、そしてフィドル、その他の楽器。

中でも目を引いたのは、フラムスというドイツ製のバンジョー。60年代にフォークソングやブルーグラスを経験した人なら誰でも知っている代物だが、アイリッシュの音楽家たちに於いては、今でも使っている人を時々見かける。

決して高価なものではないが、60年代、ギブソンやヴェガ、といった楽器には手が出ず、国産ではピアレス、ナルダンといった安価なものしかなかった時代。特に関西方面のバンジョー弾きが使っていた覚えがある。

それでなければ、ケイ、というアメリカ製のものか…。

兎に角、懐かしさのあまりちょっとだけ弾いてみる。とはいっても、当時僕らが使っていたのは5弦で、アイリッシュが使う4弦とは全く違うものだ。

「むかし、坂庭省悟もこれのロングネックで“むかしむかしオイラがガキだったころ”って歌っていたし、立命館大学のサニーマウンテン・ボーイズの人もこの会社のバンジョーだったんだ…。それと、大阪歯科大学のブルーリッジ・マウンテン・ボーイズもそうだったかな…」なんてことをまた、ついつい若い人に言ってしまう。

話を戻して。今日ここに来た目的は、カスティーズの配信するユーチューブに僕らの演奏をのせてもらうことだ。

店の小さなスペースに椅子を二つセットしてくれたジョンも古くからの知り合いだ。何故か、うんと寒い日でもショートパンツを穿いている。

少しインタビューされてからリールを演奏した。終わってからまた少しインタビュー。

夏の風と共に、じゅんじが若い新進のフィドラーとクレアに戻ってきた、というかっこいいふれこみで無事、撮影も終了。

さて、昼ごはんにはまだ早いし、楽器も持っていることだし、街かどでバスキングして金を稼がん手はない。

日本では真剣にトラッドなんかに耳を傾けてくれる人は少ないが、ここは違う。少なくともじいさん、ばあさんがやってきて、演歌やナツメロをやってくれ、なんていうこともない。彼らにとっての演歌やナツメロがここではアイリッシュ・ミュージックなのだから。

派手なものをやって人目を引く必要もないし、本当にこの音楽を心底リスペクトして演奏することでも、街ゆく人のかなりの割合が興味を示してくれる。

一時間ほどで昼ごはんには充分過ぎるくらいのお金が集まった。

日替わりスープとパンで腹を満たして、夜のセッションのために一旦解散して昼寝をしておかないと身体がもたないだろう。

ミュージシャンも体力勝負だ、とつくづく感じる。そのむかし、ヴァージニアのフィドラーズコンベンションで4日間、トータルで30分程度しか寝ずにブルーグラスを演奏したことがある。勿論30代前半だったし、じゅうぶんな体力はあった。それにいい音楽に囲まれていたら寝ている場合ではない。ともすれば食べている場合でもない。

さて、また夜がやってきた。なんだかいつアイルランドに着いたのか、もうすでに分からなくなっている。

いざ、またセッションだ。

その日覗いてみたところでは、若い3人組がやっていた。

アコーディオンの女の子とバンジョーの男の子、それとフルートの男の子。みんな大学生くらいで、とてつもなく上手い。

テンポも速く、かなりメロディを変えたりもするが、ひとつひとつの音が的を得ている。かなりトラッドに精通している証拠だ。

これだ!トラッドを知らずして…知らないという言い方は極端として、本当のこの音楽の姿を観ずして、形だけではこうはいかない。

この子たちはもうすでに一流のトラッドミュージシャンだ。

彼らのパワフルな演奏に接して、困ったことにまたお腹が空いて来てしまった。もう真夜中もとっくに過ぎているのに。

スーパーマックという、アイルランドにはよくあるファスト・フードに寄って、できるだけ食べないようにこころがけながら、チキン・バーガーとチップスを…ていうか充分食べ過ぎでしょう。

宿泊先に戻ると、フロントに昨日とは違うお兄さんがいて、にこやかに迎えてくれた。「セッションはどうだった?」

いろいろ話すと、やっぱり彼らは若手の台頭で、それぞれに素晴らしい実力をもった子達らしい、ということが判明した。

ところで、フロントのそのお兄さんもフルートを吹くらしい。そして奥さんはフィドラーだ、ということだ。

そして、ここでいくつも起こる偶然のひとつに早くも出くわすことになるのだ。

「彼女はサラといってサン・フランシスコから来ているんだ。弟もミュージシャンで、デイブっていうんだけど、バンジョーを弾く」

「待ってくれ。今何て言った?奥さんはサラ・コリーか?サラもデイブも彼らがまだティーンエイジャーのころから知っているぞ」

偶然とはいえおそろしいことだ。

彼はフロント業務そっちのけで、僕らを食堂に招き入れ、そこでセッションが始まってしまった。

世界中から来ている若者たちが泊まっているホステルだ。少々のハプニングにはみんな慣れているように見える。

結局、解放されたのは午前4時を大幅に回ってから。ますます何日目かわからなくなってきた。