毎年この日は僕にとってどこにいても感慨深いものがある。
記録に残っている処で、2014年はゴールウエイでアンドリューとオーラ・ハリントンとで演奏していた。
2017年にはブライアンとかなこちゃんの家にいた。
2018年はカーロウにいた。そして、沢山の若者が命をなげうって守ってきたこの国を政治家たちが滅茶苦茶にしている、と書いた。
今と同じだ。
因みに去年はティペラリーに居た。
僕は戦後まもなく(と云えるかどうか分からないけど)の生まれで、父は陸軍少佐として南方戦線に出征、なんとか生きて還ってこれた人なので、戦争と云うものはそこそこ身近だったような気がする。
この日になると必ず嬉々として日の丸を掲げる人であった。
もっと話を聞きたかったが、南の島はよほどひどかったのだろう。あまり話したがらなかったことも事実だ。
終戦の玉音放送はどこで聴いたのだろう。
僕は「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉しか知らない。
戦争からはなにも得られない。
そこでなにか得ることが出来るのは戦争をネタにして金を儲ける連中か、自分の命だけは守ろうとする政治家か…ありゃ、今と同じだ。
何も国民に伝えず、久々に顔を出したとおもったら同じことばかり言って、嘘はつき続ける。
キャンペーンで国民は感染して来い!とばかりに戦場へ送られる。
沖縄も相変わらず無視だ。
今、僕らは、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んでいる…ようだ。