危険な暑さだ

ここ10年、アイルランドに居た夏を今、日本で体験すると中東で溶けそうになったことを想い出す。

勿論、暑い夏の日というのも知らないわけではない。

アイルランドに旅立つ前、或いは帰ってきてからも暑い、と感じることはよくあったが、ここまで連日ということはなかった。

涼しいのは政治家だけだ。たまに顔を出すと涼しそうにしている。

身体的なことだけでなく、なにも考えていない、または考えが及ばなくても、ま、いいか、くらいにしか思っていない感が伝わってくる。あきらめかな、正直もうしんどそうに見えることも否めない。特に総理は。Sorryなんてしゃれにもならない。

とに角、飛行機の時間が…等と云いながら逃げるように去っていく。

涼しい会見場所から涼しいリムジンに乗って、涼しい飛行機に乗って、また涼しいリムジンに乗って、涼しい官邸に帰っていく。

そりゃ、涼しいだろう。

暑い公共交通機関を使って、暑い道を歩いてみろ。庶民の気持ちが初めて分かるだろう。

ま、あんな連中にいらいらしてもなにも変わらないので、これ位にしておこう。

今日はなにを書こうかな、と思っていたかも忘れさせるくらい危険な暑さだ。

どうせなら今聞いたニュース、大文字の点火のこと。

誰かがいたずらで早く点火(点灯?)した、とてもいたずらとは言い難いと思える行為があった、という。

ずっと昔に大の文字の、向かって右上でたき火をしたグループがあった、というが、どうも「八月の犬は二度吠える」からの都市伝説の噂があるようだ。「太」もあるようだし。

とに角、永きに渡って大切にされてきた伝統行事に泥を塗るというのは、もう世の中にいらない人間がおこした行為だと解釈していいのではないかと思う。

犬や太なら可愛い感じもするが今回のは厳重注意で済ませてはいけないと思うのは僕だけだろうか。

あとひとつあったなぁ。

マスクをつけるのをやめようという運動をしている連中。

機能していない政府に対しての抵抗だろうが、結局、政府と同じように脳のどこかが壊れているとしか思えない。

優しく言うと、正に自由と身勝手の区別がつかない集団ではないか、と感じてしまう。

ここを素っ裸で歩いてはいけないんだ、という人に対して、いや、私の自由です、と言って素っ裸で歩いているようなもんだ。

しかも今は感染症という人類共通の危機が存在しているにも関わらず、わが身の自由ということを大切に考える、というのはどれだけ他人の事を考えられないのか、と疑ってしまう。

いろんな人が居て世界は成り立っていると思うのだが、彼らのような人間による無駄な犠牲は困る。