今のデュオを始めてちょうど10年。
最初の演奏が阿佐ヶ谷のバルトで2011年の1月8日。
昼と夜の2回に分けてやらせていただきました。
そして、更に遡ること1971年。どうやら2月7日にザ・ナターシャーセブンの第一回目の顔見世があったようです。
確かまだ「高石ともやとその仲間たち」という触れ込みで。
そんな風に歴史を辿ってみると、もう少しきちんと整理して記録を残しておくべきだったと思うが、なかなかそういうことも出来ないでいる。
2011年最初のものはセットリストもきっちり残してある。
それから2016年くらいまではほとんどのギグのセットリストも残してある。
その頃からちょくちょく何も決めないでやったりすることもあった。
入り口と出口だけ決めておけばあとは何とかなる、という感じで。
実際、レパートリーもずいぶん増えてきたが、やはり聴いていて面白い曲と演っていて面白い曲とは違うので、そのへんを吟味していくのもプロとしては当然のことかも知れない。
2011年からは夏になると必ずアイルランドへ出かけていって、本場のシーンにぐいぐい入っていった。
僕の方は99年くらいからクレアーをはじめ、あちらこちらで演奏してきたので、ここはひとつ、紹介を兼ねて旧友たちのところを二人で渡り歩いた。
考えてみれば怒涛の如く過ぎ去った10年だったかもしれない。
そして9年目はこのような状況になり、世界がガラッと変わってしまった。
中国はここぞとばかり自国産のワクチンを売り始めているが、こちらにしてみれば、元々あんたたちがばらまいたんだろうが…。と云いたくなる。
今日、日本でも緊急事態宣言について総理大臣が言及していたけれども、相も変わらず用意された原稿を棒読みするだけで、なにも心がない、けっして自分の口から言葉を発しない、いつもと全く変わらない危機感のないものになっていた。
今年もこんなことを考えなければならないのか、と思うとつくづく嫌になってくる。
でも、僕らは10年の節目を迎えた。取りあえず今まで通り、強く生きていかなければならない。
みなさんにとっても、これから先、今まで苦労して積み上げてきたものを無駄にするわけにはいかないだろう。
僕等にとっての10年を書いてみるつもりがこんな文章になってしまった。