坂庭君秘話 3

花嫁がヒットしたのは1971年だったかな。調べてみると、発売が1月10日になっている。

ということはその2~3か月前くらいのことだっただろうか、彼が僕のアパート(当時、北白川に居たと記憶している)に来て「こんな曲なんやけど、のりちゃん(端田さん)がどっかからひっぱてきて、よう似た曲があるんやけど、少しアレンジしてこんな感じになったんや」と云いながらハミングしていた。

僕自身はそんなに似ているとは思わなかったが、因みにそれが何だったかは覚えていない。そうして聴かされたのが「花嫁」だ。

なお、その花嫁の発売日の8日後に僕が高石さんと初顔合わせをしていたらしい。

坂庭君はそれから約1年の間、破竹の勢いで日本中を駆け巡っていた。

クライマックス解散後、大学に戻った彼はそれなりにちゃんと卒業する気でいたんだろう。

僕の方はそれなりに、本当にそれなりに少し忙しく高石さんと動いていた。

そんな中でも時間を見つけてはしょっちゅう会っていたと思う。

ある日、電話がかかってきて「ちょっと来てくれるか?」と云うので彼の東寺の家へ出かけていった。

相変わらずチロがワンワン吠えていた。

2階に上がると彼がおもむろに「これなんやけど、見てくれるか?」と言って、どっちだったかなぁ…確かマーチンギターD-45を持って隣の部屋から現れた。

「実は内緒なんや。あいつ花嫁で儲けていい気になってあんなん買うたんや。アホかって言われるんやないかと思って」と云う。

僕はすかさず「お前、京都人やなぁ。そんなん気にすることないんじゃない?遠慮すること無いで。そうだ、このギターはマーチン遠慮モデルと呼ぼう」

「凄い凄い。やっぱりいいか?…お、いいじゃん」

と云いながら少し弾いていると「実はこれも見て欲しいんや」と云いながらギブソンバンジョーRB-800を出してきた。

あの時代である。

「わ―凄い。いいじゃん」と僕が云うと「いや、完全にアホにされると思った」という彼。

「それやったらこっちは成金バンジョーと呼ぼう」

実際、RB-800は見事なゴールド仕様だ。

それはインレイのパターンが「リース」と呼ばれるクリスマスの飾りのリースをモチーフにした物だった。

彼曰く「俺は花柄のもの(ハーツ&フラワー)が欲しかったんやけどRB-800が届いた、という知らせが楽器屋さんから来て(神田のカワセ楽器)意気揚々と出かけていってケースをあけたら、なんやこの「はてなマーク」みたいのって思ったんや」

事実、当時まだ情報があまり無くてギブソンの高級バンジョーと云ったら俗に言われる「ハーツ&フラワー」というインレイが最も良く知られていた物だった。

僕等にしてみればハーツ&フラワー、そしてフライングイーグルというインレイが2つの代表的なモデルでリースと云うものは眼中に無かった、そんな時代だった。

坂庭君は正直少しがっかりしたらしいが、大好きな金ぴかのバンジョーなので、購入したらしい。

取りあえず僕に告白したその日の彼は嬉しそうにしていた。

この辺は僕と違って非常に慎重な性格だ。僕なんか嬉しくてすぐみんなに言ってしまうのに。

かくして、マーチン遠慮モデルとギブソン成金バンジョーはめでたくデビューしたのである。

あれから50年。もういいかな、と思ってこんなことを書いてみたが、細かい会話の事は正直覚えていない。

でも、後年になって彼が「あの時思い切って見せて良かった。本当は何て言われるか怖かったんやけど、あんまり普通の反応やったんでホッとした。京都人やったらああはいかんで」と言ったのは覚えている。

確かに僕は「全く京都人はこれだから…」と言ったような気がする。