軌道修正

あまりにもクズみたいな政治家や議員のせいで、当初、様々な見地から音楽を語ろうと思い始めたこのページも最近はクズに引っ張られてしまっている。

そろそろ軌道修正しなければ、と思いつつ、世の中の大半がストップしているような状況が続いてきたのでなかなか音楽のことも書けないでいる。

嘘、隠ぺい、国民を見下した態度、どれをとっても超一流の詐欺師としか思えないのだから文句を言いたくなるのも仕方ない。

もう忘れて少し音楽のことを…と思っていると必ずと言っていいほどなんか少し考えれば誰にでもわかるアホなことをやらかす。

もうお手上げだ。

でも、一応選挙には行く。行かずして文句は言えないだろうな、と思うので。

でも、もう一方で誰も期待できる人がいないのに何故行かなきゃならないんだろう?なんて考えたりもする。

国民の誰一人として投票所に行かなかったら(有りえないけど)面白いだろうな、と思ってしまう。投票率10%とか。クックック。

原子力発電所を国会の真ん前に建てたら、なんて妄想にふけってしまう。核のゴミを国会の敷地内に集める。これも面白い。

Aなんて、いの一番に逃げるだろう。そして誰もいなくなった…なんちゃって。

おっと。軌道修正するつもりだったんじゃなかったっけ。

今年も多くのいいミュージシャンがこの世を去ってしまった。

特に僕が大きくショックを感じたのはナンシ・グリフィス。彼女の唄は本当によく聴いていた。性格はきつそうだが、僕はあの、なんか愛嬌のある顔も好きだった。もちろん声もだ。

オースティン・シティ・リミッツにメアリー・チェイピン・カーペンター、インディゴ・ガールズ、ジュリィ・ゴールドと共に出ていた時には慌ててビデオを撮って擦り切れるほど観たものだ。

ニュー・ヨークのクラブでのライブビデオも仕事が終わって帰ると毎晩のように観ていた。

彼女が亡くなってしまったことは自分の音楽の歴史にポッカリ穴が空いてしまったようだった。

最近では、バンジョー弾きのビル・エマーソンやソニー・オズボーンもだ。

ビル・エマーソンはカントリー・ジェントルメンで来日した時に、その卓越したプレイに魅せられたものだった。

ソニー・オズボーンも時折飛び出すジャジーなコードワークや独特のタイミング、それに何といっても珍しいヴェガのソニー・オズボーン・モデルにも憧れたものだ。

そう言えば、よく覚えていないが、円山音楽堂で何かブルーグラス関係の音楽会があった時、アメリカから来た誰かが持っていたのを初めて見て、省悟と二人、眼を皿のようにして「わー!ソニー・オズボーン・モデルや!」と感激したことがあった。噂によると10台ほどしか作られていないらしい。

そしてトニー・マクマホン。

もう2016年にアイルランドで再会した時からかなり弱っていたようだし覚悟はしていたが、もう一度くらい会っておきたかった人だ。

2018年にアンドリューの家でラストレコーディングを聴いた時のことは、いまだに深く心に残っている。

彼のギタリストとして共にツァー出来たことは甥っ子のアンドリューにも感謝だ。

更にまた最近訃報が入った。今度も個人的に良く知っていた人物。ショーン・テリル。

Sean Tyrellと云う名前を日本語表記するのはとても難しい。以前、僕はこのコラムでトリルと書いているがテリルに近いのだろうか。

よく訊いておけばよかった。

いつも、ショーン・ショーンと呼んでいたので、あまりラストネームは気にかけていなかったので。

彼とはパディ・キーナンとのトリオで何か所かステージに立った。めっちゃ素朴で付き合いやすい人だった。

ギブソンの古いマンドチェロを持って、たまにマーチンのテナーギターを持って、深い味わいのある声で歌う彼に、よくギターで伴奏をしたものだ。

その後、アイルランドで何度か会って話をする機会があったが、彼もこの世を去ってしまった。

もうあと1ヶ月とちょっとで今年も終わってしまう。

本当はもうちょっと後で書くべきことだったのかもしれないが、あまりに価値の無い政治家や議員のことばかり言っていると、我ながら情けなくなってくるので、素晴らしい人達の事を書いてみたくなった、と云うのが今の心境だ。