2022年 アイルランドの旅 44

今日はなんとなくノスタルジックな気候なので、ついつい京都の学生時代にタイムスリップしてしまった。

とは言えども、もう50数年前。10年ひと昔からすれば、5昔だ。

当時、18歳の頃、もちろん産業大学ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズでブイブイ言わせていたが、他の大学の友人も数多くいた。

中には無類のジャズ好きもかなりいた。

そこで、よく行ったジャズ喫茶を想い出してしまった。

まず、何と言っても「シアンクレール」かな。

立命館大学のすぐ近く、河原町荒神口のあたりにあったが、ここは僕の親戚(父方)の家も数軒存在していたのでよく行っていたところだ。

ここで初めてウエス・モンゴメリーの、大量の煙草の吸い殻が写真に収められたジャケットのレコードを見た気がする。

記憶が定かではない。調べれば分かることかもしれないが、覚え間違いでも迷惑のかかることでもないし、大勢に影響ないと思うので、思い出は思い出としてモヤモヤさせておくのも悪くないだろう。

マイルスのスケッチ・オブ・スペインもここだったような気がする。

音楽を聴きながら、友人たちと静かに時が流れていくのを眺めていた。

そう言えば百万遍のあたりに「カルコ」っていう店もあった。

ここはどちらかと言えば、ジャンゴなどを筆頭に30年代のスウィングなどがよくかかっていたと思う。

入った途端に別世界に来たような気がした、ということもなんとなく覚えていることの一つだ。

「やまとや」というところもあったなぁ。確か熊野神社のあたりだった。

そんなジャズ喫茶への出入りもさることながら、入り浸りという意味ではやっぱり「琥珀」かな。

ここはフォーク喫茶と言えるんだろうか。

大学時代からナターシャー初期、中期に至るまで、マスターの藤井さん夫婦に会いによく行ったものだ。

省ちゃんと楽器を持って行って弾いたり、そうだ。デビッド・グリスマンたちとジャムをしたりしたのもここだ。

アメリカンフォーク、ブリティッシュなど、フェアーポート・コンベンションやペンタングルなんかここでよく聴いていたと思う。

ブルーグラスもいっぱいあった。

あの頃はフットワークも軽く、河原町までバンジョーを持って出掛けるなんて苦でもなかった。

当時、フォークソングをやっていて「琥珀」に行かなかった人っていなかったんじゃないかな。

思い出せばもっとたくさんの事柄が出てくるのだろうけど、怒涛のごとく過ぎていった60年代後半から70年代後半まで。

良くも悪くも情報源が限られていた時代、自分の足で見つけたもの、風の噂で知ったもの、その全てが本当に価値のあるものだったような気がする。