日本では知る人ぞ知る、と言うギタリスト、アル・ペタウェイ(日本語表記が分かりません)が9月25日に亡くなったという記事を見かけました。
この人、僕にとっては結構縁の深い人でした。
長年会っていなかったのですが、1984年、ワシントンDCに滞在していた時によく一緒に演奏していました。
当時は大塚章さんのお宅でお世話になったのですが、彼等のバンドがGrazz Matazz という、ブルーグラ スジャズのようなバンド。
そのギタリスト兼ヴォーカルがアルだったのです。
なのでアルの家にも宿泊して夜通しジャムを繰り返していたこともありました。
バンドのヴォーカルのパティさん、フィドラーのマイクも交えていろんなジャンルの曲を一緒に練習しました。
マイクは海兵隊員の特権、海兵隊割引でステーキを買ってきてくれたり…それはとてつもなく大きく、バンド全員がお腹いっぱいになるくらいの肉でした。
日本円で300~400円くらいだった記憶がありますが、何せ昔のことで。
初めてそのままの形の豚が串に刺されて火にあぶられてクルクル回っているのを見たのもワシントンDCで…あれ、これは他の人のパーティだったかな。
とに角アル達とはよくステージでも演奏しました。
セルダム・シーンの本拠地としても有名なバーチメアで。
当時の彼はスタンダ―ドチューニングで独特なフラットピッキングを演奏していたと記憶しています。
かなりジャジーなスタイルだったと思います。
ここ最近、10年ほど前にひょんなことから彼の映像を見つけたら、DADGADでのものが非常に多く「へぇ~」と思っていました。
2~3回メールでやり取りしたような記憶もありますが、これもこの10年ほどの間。
なんだか色んな人と出会い、再会し、色んなところに行って、よく覚えていないのですが 、彼の落ち着いた優しい眼はよく覚えています。
それに、とてもツボを得た気持ちのいいギタープレイも。
すみません。記憶も定かでないのにこんなところに書いてしまって。
でも、1984年、アメリカ大陸を横断した時、最もよく一緒に演奏した仲間の一人でした。
またしても時の流れを感じてしまいました。