最近、近所のスーパーで働いているベトナム人のニャンちゃんとよく話をする。
ほとんど毎日のように8時から夕方の5時まで働いているようだ。
その子と話をしていてなんだか急にマイクを想い出した。
そして、久々に「アー・ユー・オープン?」を読んでみた。
彼とは10年近く朝から晩まで一緒に働いたものだ。
喧嘩もしたし、飲みにも行ったし、ベトナムの旧正月に招待されて、訳の分からないままに大勢の家族(本当の家族では無いが)に囲まれていろんなものを食べさせてもらった。
2人ともまだ若かったし、といえども、マイクに関しては推定年齢でしかないが。
とに角前にも書いたようにとんでもない、想像を絶する人生を歩んで来たことは確かだ。
戦争当時、僕らは散々恩恵を授かりながら反戦歌を呑気に歌っていた。
毎日の彼等との付き合いからはそんなことを感じざるを得なかった。
ベトナムとは関係ないが、89年に天安門事件が起こり90年に入ってからアメリカで制作されたテレビドラマが放映されていた。
天安門で軍に抵抗した若い兄弟がアメリカに渡る話で、兄は真面目に仕事をしながら、天安門の事を世界に知ってもらおうとしていた。
弟の方はマフィア(多分中国系)の一員となり、最後には兄を追い詰める。
天安門事件を境に仲の良かった兄弟が壮絶な最期を遂げる、というようなストーリーだった。
連続ドラマだったので僕は毎週食い入るように観てしまっていた。明らかに傍観者だ。
ベトナム戦争しかり。
マイクだけでなく僕の周りでは多くのベトナム人がボートピープルだった。
その壮絶な体験は筆舌に尽くしがたいものがある。
ニャンちゃんはまだ推定20代後半。おそらく両親は子供の頃戦争に巻き込まれただろうか。
いやいや、両親も戦後の生まれかもしれない。チャンスがあったら一度訊いてみようかな。
それにしても、なんと愚かな人間が世の中に存在しているんだろうか。
いまだに眼の色を変えて戦争、戦争と躍起になって破壊、殺戮を繰り返すバカが世界中至る所に居る。
人間が居る以上これは無くならない事だろうな。
なんかニャンちゃんから、マイク、そして天安門事件まで想い出してしまった。
暗くなってきたので面白い話を。
マイクは誰から教わったのか「気持ちの良いことしよう」なんていう日本語だけ知っていた。
ある時、日本町を歩いていたらある看板が目に入ったが、そこにはこう書かれてあった。
Kimochi Home マイクは鼻息を荒げて「ジュンジさん、あれ、なにをするところ?」
僕はあきれて答えた「アホかお前!あれは老人のケアーセンターだ」