このワードを聞くと思い出すことがいっぱいある。
レストランに居た頃、周りにチャイニーズ、ヴェトナミーズが多かったので、この時期には仕事終わりによく出かけたものだ。
春節のチャイナタウンはかなり賑わっていた。
屋台の夜店みたいなところでゲームをしたり、いろんなものを食べたり飲んだり。
定番の爆竹が鳴り響く中、みんなと歩き回った。
別な日にはハリーさんとハリーさんのご主人、何故か彼らの娘さんまで一緒になってレストランに出掛けて行ったり。
また、ヴェトナミーズの家族と一緒に訳の分からないままに春節を祝ったり。
あれは確かミセズ・ホートが家に招待してくれたのかな。
居候のマイクも居たし、子供たちは4人。
そのうちの一人はアメリカ兵とヴェトナム人の間に生まれた孤児。
確かジュリーと云う名前の、リンダ・ロンシュタットによく似た綺麗な子だった。
ミセズ・ホート曰く「この子を引き取ったのでボートに乗ってアメリカに来ることができた」そうだ。
まだ若い女の子だったが、ある日働いていたレストランでシェフが誤って肉のスライサーで指を落としてしまったらしい。
彼女は躊躇することなく落ちた指を拾い集め、すぐ病院に連れて行ったそうだ。
話が飛んでしまったが春節なんていう言葉はそんなことまで想い出させてしまう。
食事は見慣れないものばかりだったので、生春巻きくらいしか覚えていないが、日本のお正月のように豪華だった。
なんか、近所の人も来ていて10人くらいのヴェトナム人に囲まれて、ほとんど、いや、さっぱり何を言っているのか分からなかった。
ミセズ・ホートから「新年おめでとう」のヴェトナム語を教わったがすっかり忘れていた。
だが、ネットで調べたら、彼女のあの甲高い声がよみがえってきたので、さっぱり分からないはずなのに読めた。
これは試してみなくては、と思いスーパーのニャンちゃんのところへ行って読んでみた。
「わ!凄い」と云われてホッとしたが、この子達けっこう日本語喋るのだ。
あ~恥ずかしや。
春節でもうひとつ想い出すのは、あのコロナ禍が始まった時。
ちょうど春節の頃、そう僕の70歳バースデイコンサートの直後だったか、街から人々が消え、春節で移動してくる中国人が居なくなった。
明らかに街の様子が変わっていた。
それはそれで静かで良かったが、なんとなくあのチャイナタウンの喧騒、飛び交う爆発音(会話と爆竹)ヴェトナム語の響き…懐かしくもある。