2月で想い出したことがあった。
薄々ではあるが、想い出してきた。
明日になると「記憶にない」という、何とか大臣のような事になりかねないので、今のうちに。
確か初めて渡米したのが79年の2月だったと思う。
チケットが安かったのだが、そのせいで関空からソウルに飛んで、また羽田に戻って、ハワイに飛び、そしてロスに着いた。
トータルで24時間くらいかかったんじゃないかな。知らんけど…。
その飛行機の中で知り合ったのが、何故か桑名晴子だ。
そして、今は亡き塩次伸二もいた。
ちょっと調べてみると、79年にサンフランシスコ・ブルース・フェスティバル参加のため、渡米、とあるのでその時だったんだろうか?いや、フェスが8月だったはずなので、そのための渡米ではなかったのだろう。
とに角、彼等と意気投合した末に、着いたらすぐに兄貴の処へ行くから一緒に行こう、と誘われた。
兄貴。そう、桑名正博だ。
初めてのロスの街を歩いて、夜の8時頃にアパートに行った。
数人の仲間とともにもうかなり出来上がっていたようだった。
そして奥の部屋から出てきたのがアン・ルイスだった。
訳の分からぬままに数時間過ごしてホテルに戻ったことを薄々ではあるが、覚えている。
そして確か次の日にサンフランシスコに向かった。
ロスはあまり好きな感じの街ではなかったのですぐに向かったのだった。
前日のパーティの疲れか、あまりの太陽のまぶしさに眼が開けられなかったサンフランシスコの青空をよく覚えている。
それからどのように過ごしたのかはよく覚えていない。確か2週間ほど。
この時かな。グレートレイクスのオープンバックを手に入れたのは。
その翌年にも行っているし、その時だっただろうか。
またもしかしたら記憶が蘇ってくるかもしれないので、突然なにか書き始めるかも…。
あの大臣も早く記憶が戻ればいいのに…って知ってて知らんふりしているのは見え見えだが。