トニー・マクマホン

ある朝、枕元の電話が鳴った。出てみると、聞きなれたアイリッシュ・アクセントが耳に飛び込んできた。

「わたしはトニー・マクマホンといって、アコーディオン弾きだが、君はじゅんじか?実はカリフォルニアをツアーした後、日本に行くのだが、君が適役だと思って電話したんだ。いろんな人にギタリストは誰がいいか尋ねたら、みんな君の名前を出すんだ。どうだ、やってくれるか?日本での仕事は大使館主催のパーティ。わたしと君と、それからディ・ダナンが来る」

まだ朝早く、先ほどまで眠っていた僕にとっては、あの伝説のアコーディオン奏者が直々に電話をしてきたことが信じられなかった。それにディ・ダナンまで?

トニー・マクマホンといえば、80年代、アイリッシュ・ミュージックがあまりにコマーシャリズム化され過ぎている、という理由から、表に出て演奏することをやめてしまった、と聞いていた。

その彼がまたやり始めたようだ。そして今回がその久しぶりのツァーらしい。

勿論オーケーしたが、かなりの偏屈だ、という話も聞いている。なにはともあれ、あと2週間ほどでやってくる。気を確かに持たなくては。

そして、彼は、やってきた。

ツァーに出る前に少しだけ音合わせが必要だ。勿論会ったこともないし、ましてや、どのようにデュオを組み立てていくか、それは音をだしてみなければなんとも言えない。

このような時、ギタリストとして最も気をつけなくてはならないことは、相手がどのようなことを考え、どういう音楽をやりたいかを確実に把握することだ。

決して生半可な知識と感性では他人の伴奏はできない。

僕はまず彼に訊いた。「例えば、Joe Cooley‘sのbパートに於いて、基本Emを使いますが、あなたはどう感じますか?」

何故なら、彼が最も尊敬するアコーディオン奏者はジョー・クーリーなのだから、その辺は大切にしないといけない。

更に「同じくMorning DewやMaster Crowley‘sなどについても意見をきかせてください」等など、がっぷりよっつに組むにはどうしても必要なことを確認する。

とは言え、無類のブルース好きであるアンドリュー・マクナマラの叔父にあたる人だ。結構モダンな感覚ももちあわせている。

究極、いいミュージシャンとは、そのふところの深さと、引き出しの多さ、そこらあたりを感じさせてくれる人のことを言うのだろう。

かくしてツァーが開始された。

会場はどこも、この現存する伝説をひと目見ようと、いや、やっぱりその音を聴くために、だろう。そんなオーラが限りなく出ている人達でいっぱいだ。

一曲目から重厚なサウンドと、全てを彼の世界にひきずりこんでしまうリズムで観客を圧倒してしまう。

じっと目を閉じる人、身体を揺さぶっている人、涙まで流している人、様々だが一様に皆、胸の高鳴りを抑えきれない様子だ。

僕は、ある本で読んだマイケル・コールマンのことを想い出した。

新天地を求めて、国をあとにしたアイルランド人たちが、マイケル・コールマンのフィドルを聴いて涙を流した、という話。今、まさにそのシーンを体験している。

それはいやおうなしに自分の精神のなかに突き刺さって来る。

カリフォルニアのツァーを終えて、一路日本へ。

ホテルのパーティ会場。ディ・ダナンがリハーサルをしている。さすがに彼らもトニー・マクマホンには一目置いているようすだが、容易には近寄ってこない。かなりの偏屈だということは彼らにもよく分かっている。

それでもひとことふたこと言葉を交わし、パーティのスタートだ。

ここでは、にぎやかしがメインの仕事なので、あっさり演奏して後をディ・ダナンに譲ると僕を誘ってバーへと。そしてふたりでベイリーズを浴びるほど飲む。ご機嫌なディ・ダナンの演奏をバックにして。

そして、それから何か所か回った日本国内でのツァーでさえも、彼の演奏に涙する聴衆を多く見た。

彼は言った。「わたしはアコーディオンでアイルランドの地にすむ妖精に話しかけているんだ」

伊勢神宮へ出かけた時、じっと目を閉じて、そっと言った。

「精霊の声が聴こえる」

ひょっとして彼には本当に聴こえていたのかもしれない。