ミック・モローニ

前回、アイリッシュのギタースタイルについて書いていたとき、突然思い出したことがあった。

10年前、ニューヨーク郊外に住んでいたミック・モロニー宅を訪れた時のことだ。

その日は昼間、コロンビア大学でアイリッシュカルチャーについての講義を担当するミックとともにデモンストレーション演奏の後、

フィラデルフィアの教会で大きなコンサートに出演する予定であった。

ミック・モロニーといえば、あのグリーン・フィールズ・オブ・アメリカの主メンバーで、

シェーマス・イーガンや、アイリーン・アイバースと共に、素晴らしい音楽を聴かせてくれたものだ。

 

僕は、随分前に(おそらく1995年頃)サンフランシスコのケルティックフェスティバル会場で、ジェイムス・キーンとユージン・オドンネル、

そしてミック・モロニー、というトリオを聴いた。

勿論、シンガーとしての彼も素晴らしかったし、キルケリー アイルランドという歌は涙なくしては聴けなかった。

苦しかった時代の、アイリッシュ・ファミリーの数年の出来事を切々と歌い上げる彼の歌には、いたく感激したものだ。

それと同時に、えも言われぬリズムでテナーバンジョーを弾く彼のスタイルにも感動を覚えた。

彼のインストゥルメンタルアルバムは僕のフェイバリットのひとつで、留守番電話のアナウンスメントにも使っていた。

彼の家はアイリッシュ・ミュージックとカルチャーについての資料館のようなものだった。

ありとあらゆるSP盤、テープ、書籍。日本にいたらまず見ることがないだろうものが山積みになっていた。

僕らが生まれるよりも遥かに前からのものもある。

彼は、それらを次から次へと出してきては見せてくれた。

そして、少しふたりで練習して、大学へと向かった。

大学の講義については、「アイリッシュ・ミュージックにおけるギタープレイの真髄」というコラムで少し書いたが、

英語での質疑応答は大変だった。

でも、大分彼が助けてくれた。

 

そして、夜には大きな教会でベネフィットのコンサートだ。

300人ほどの、アイルランド移民や2世、3世たちが一堂に集まっている。

数人のフィドラー、パイパー、アコーディオン奏者たちとの演奏は、さながらグリーン・フィールズ・オブ・アメリカを彷彿とさせるものだった。

聴衆も大喜びの様子だ。

そして、彼と二人で弾いた「マイ・ラブ・イズ・イン・アメリカ」

さらに、大好きだった「キルケリー アイルランド」を彼の歌とギターに僕のギターもかぶせて演奏した。

それは、長年の夢のひとつが叶った瞬間の1シーンであった。