アイリッシュミュージックに於けるギタープレイの真髄

アーティ・マグリン、ダヒ・スプロール、ミホー・オドンネル、ザン・マクロード、マーク・サイモス、ジョン・ヒックス、ジョン・ドイル、シンガーとしても高名なクリスティー・ムーア、ポール・ブレイディー、アンディ・アーヴァイン、ジョン・レンバーン、そして、ドーナル・クランシー…。

名前を挙げればきりなく、影響を受けたギタリストが想い出される。他にも無名ではあるが多くの素晴らしいギタリスト達と共演もした。

そして、その誰しもが素晴らしいトラッドアイリッシュの継承者たちであった。

ニューヨークの大学で、ミック・モロニーとワークショップを行った時、多くの学生が僕のギタープレイに興味を示した。彼らは“今までに聴いたギタープレイとは全く違うが、これほどまでにそれぞれの楽曲にフィットするものは、どのようなアイディアを持って考えられているのか”と質問してくる。

答えは簡単である。

100パーセント、トラッドを解釈しようとする努力と、自分が出来る範囲の新しい事に貪欲になること。

言葉で言うとこういうことだが、実際にはとても教えられるものではない。アイリッシュミュージックのダンスチューンは無数である。

言えることは、メロディーを注意深く聴くことだ。よく、バウロンのプレイヤー達が、メロディーも聴かずに雰囲気で叩いていることがある。勿論バッチリはまっていることもあるが、そうでない時もある。その、そうでない時というものを判断する能力というものが大切だ。

例えばKey of Dの曲の場合、僕は4つのパターンを使う。多くはカポを使わないポジションだ。最も深みを得られるのが、このポジションだが、曲によってはカポを2フレット目に置き、Cフォームで演奏した方が良いと思われるものもある。同じように今度は5フレット目に置きAフォームで、というものもある。最後に7フレット目でGフォームだ。そしてそれらはたまに、次の曲との組み合わせにもよる。或いは、その曲のそれぞれのパート(曲によっては6パートも7パートもある)に最良の音を求めなくてはならないため、でもある。

究極、全てのメロディーを正確に把握しなければならないのだ。

試しにマイケル・コールマンの名演で知られるLord Gordonの伴奏をしてみるとよい。初期のころ、ギタープレイヤーにとってこれほどつまらない曲はない、と思われたが、メロディーを何度も何度も聴いてみると、なんと美しい曲だろうか、と気付かされる。

どのパートにどんな音を使うべきかを考えながら、注意深くメロディーを聴いている時が伴奏者としての喜びを感じる時だ。

JigではGold Ringかな。これはパイプバージョンとフィドルバージョンとがある。最初の4パートが違うメロディーで、あとの3パートは同じだ。(演奏者によっては多少異なる)

これらの曲は注意深くメロディーを聴かなくてはどこもかしこも同じものになってしまいかねない。

勿論リズムに於いてもそれぞれの曲の持つ独特なグルーヴがある。演奏者によっても違う。

Slideのリズムに於いてもノエル・ヒルとデイル・ラスでは求めるものが違っていたし、Polkaでは、10時間くらい演奏し続けるくらいの体力が必要だ。実際に、ケリーでは7時間も8時間も演奏した揚句、それが朝の4時であろうが6時であろうが、まだ懲りずにポルカが飛び出す。ブレンダン・ベグリーなどは床に寝転がったままアコーディオンをかき鳴らす。

これらはReelやJigと比べるとそれほど繊細なものは要求されない。あくまで“さほど”ということだ。メロディーの美しさを引き出すために最善の努力をすることに於いては同じだ。

後はホーンパイプやバーンダンスというものがある。僕は右手に於いて2つのパターンを使う。

ミシシッピ・ジョン・ハートなどに代表される、親指を強調したスリーフィンガーか、ウェスタン・スウィングなどで使われるリズムパターンだ。

これはアンドリュー・マクナマラのお気に入り。そう、自分自身のスタイルを持ち、相手に合すことができるようになるには、最初に戻るが、トラッドに対する飽くなき探求心と、いろいろな新しい音楽を聴く寛容さが大切なのだ。

あまりに抽象的すぎるかもしれないが、興味が沸いたら実際の演奏をみてもらうのが一番いい。

いろんな人の、いろんな演奏を自分の目と耳と体で体感すべきだ。