2024年まとめ

今年はとに角CDの制作に明け暮れた一年であった、と言えるかな?

Back to Banjoを発案してから、こりゃ練習しなくてはいかん!と心に決めてみたけど、

いかんせんそれだけの気力と体力が圧倒的に衰えていることを感じる。

ここ、こうだったかな?こっちの方がいいか?などフレーズの確認や右指のフィンガーリング、左の運指…頭が混乱してくる。

こんなにもうるさい楽器なのに、弾いていると眠たくなる。

なんということを考えてしまったんだろう、なんて思いながら、それでも徐々に思い出していく。

進ちゃんと電話で話をしていた時、彼が後押ししてくれた。

「素晴らしい!じゅんじさんならいけますよ!それに、気に入らなかった処はレコーディングなら直しも出来るし。」

自分でも分かっていた事なのに、あ~そうか!という気持ちにさせてくれた彼には感謝だ。

ジャケットも発案と同時にすでに決まっていた。

近所で拾ったあの猫をバンジョーの上に乗せた写真、あれだ!

まだ生まれたての子猫だったので、何もわからず、グレートレイクス・ヴァンガードの上にチョコンと乗ってくれた。若干「これの皮にされるんじゃないか…」という不安げな表情はしていたが。

その猫も今や8キロ。もうバンジョーに乗せるわけにはいかない、と飼い主のアルマジロが言っていた。

主人と同じくお腹が出過ぎているようだが、本人(本猫?)も嫌がるし、バンジョーも壊れるかもしれない。

何で猫?という疑問には「今や猫をモチーフにした作品をつくればなんでもかんでも売れる」と言っておいた。

そんなこんなで、おかげさま、それなりのバンジョーアルバムにはなったようだったし、売れ行きも上々、というか、すでに完売というところまで半年で到達した。

それもこれも皆さんのおかげです。

それに気を良くして、というかBack to Banjo制作中にすでに頭には浮かんでいたが、次のものを作らなくちゃ、と考えた。

#2という事で良いか…と思っていたところに、フッと浮かんだタイトルがJust a Little Memoryだった。

これならBack…に対してもなんとなく繋がりを持たせることができるんではないか、と感じて、すぐにそう決めてしまった。

しかし、前作とはまた違った感じのものでないといけない、ということも考えた。

そんな時、ふと思い出した曲がEnglishman in New Yorkだった。

この頃、毎日のように顔を合わせるスーパーのアジア人クヮルテットが、アメリカで働いていた時の同僚たちを想い出させ、登場する歌詞のI’m an Alienというところや、何といっても曲調が大好きだったので、これで行こうと考えた。

そして何気なしバンジョーで弾き始めてみたところ、結構うまくハマったように感じている。

そんな中、高石さんが亡くなる、という前代未聞の…いや人間、誰でも死ぬが、あの人だけは何が起ころうと生き抜くんではないか、と思っていた。なので、そんな事もあるんだなぁ、

もうみんないなくなったなぁ、ひとつの時代が終わったなぁ、俺もあと何年だろう…などと考え始めた。

生きて、まだ余力が残っている間に残すものは残しておいた方が良いかな、等と考えて、一層このアルバムに力を注いだ。が、なにか言葉では言い表せない喪失感と言うものを感じていたことも事実だ。

1971年の出会い以来、僕をこの道で最大限に生かしてくれた張本人なのだからそれは仕方のないことだろう。

大学時代から共に歩んで来た省悟とはまた違った喪失感だった。

省悟に関してはまともに食らったフックみたいな…高石さんは徐々に効いているボディブローのような…ボクシングの事はよく分からないが、そんな感じ。

そしてこのアルバムでは何年か前に書いた、その当時はMemoryというタイトルを付けていたものだったが、そのオリジナル曲を少し書きかえてJust a Little Memory として収録することにした。

なんか出来過ぎた感じだ、と思うのは僕だけかもしれないが。

そして、高石さんの詩の中でも特に印象深い「疲れた靴」も、何となく彼の死という事がおこる前から録音してもいいかな?と感じていたが、もうこれはやるしかない、と録音に踏み切った。

録音が終えて僕がタムちゃんに「ねぇ、このあとバンジョー弾いていい?」というと「もちろん!」とにっこり答えてくれた。

何も予定していなかった。でも何故か「ヘイヘイヘイ」を弾きたくなった。

何も言わなかったがタムちゃんが、どこかへ遠ざかるように、でも消えていくのではなく、ちゃんと終わるようにこの曲を終わらせてくれた。

これは頭の曲Englishman…でも同じ手法が取られているが、こちらの方は僕の要望だった。

かくして出来上がった2枚のアルバムが今年の自分が生きてきた(まだ生きている)証拠となって残った。

2024年はこんなことに尽きるかな。

2025年はどんな年になるのだろうか。

トランプは世界をどのように変えてしまうのだろうか。変えてくれるのだろうか。

バカが狂って核爆弾など使っても、日本のテレビは「大食いハンター!」とかやっているのだろうか。

日本の総理大臣はなにか仕事らしいことをするのだろうか。

極端な話し、あまり関係ないことかも。

それよりも日々、普通に幸せに生きていくことを考えたほうが建設的なのかも。

今年は静岡と京都に参ります。

去年は74歳という中途半端な年齢だったのでスキップさせてもらったが、いよいよ後期高齢者。

ますます清潔にしていなくちゃ、と思う。年寄りほど身の回りをすっきりさせたいと思う。

来年もそこのところは気を付けて過ごしたい。

質素に簡素に清潔に、そして何事にも謙虚に、色んな事に興味を持って(僕にとっては特に音楽)…他にあるかな?…。

そんな風に人生を全うしていこうかな。

総括としては、まだ早いような気がするけど、取りあえず、と言う感じで記しておこうかな、などと思った次第です。

まだ2週間ちょっとあるのでなにか起こるかな?

出来れば平和に、平穏に、穏やかに…って同じ事ばっかりか。でもそれが一番!