栃木の川俣ぐんじ君に会いに行った。
いや、正確には川俣卓也君だ。
そして更に正確には、彼の主催による2つの会に寄せてもらったわけだ。
午前、10時頃に向かえばよかったものを、例によって早起きして6時頃からそわそわ。
結局、予定よりも一時間近く早く着いてしまった。
ま、遅れるよりはいい。世の中何が起こるか分からないし。
それでも歳と共にその辺の考え方が極端になってくるようだ。
小山に到着して駅前のコンビニでドーナツとコーヒー。
この組み合わせは限りなくグレイハウンドのバスディーポを想い出させる。
この駅では…あれは1972~3年頃だろうか…。
マネージャーの榊原氏と二人、電車に乗り遅れて、駅前のさびれた商店が並ぶ街並みをぶらりぶらり、すし屋に入った覚えがある。
それ以外のストーリーは何も覚えていないが小山というとそのシーンが蘇ってくる。
が、しかし、駅前はかなり変わっていた。
コーヒーを飲み終えると川俣君が迎えに来てくれた。
小山の想い出や、京都産業大学の想い出等を話しながら会場に向かう。
そう、彼もまた京都産業大学ブルーリッジマウンテン・ボーイズの出身だ。
何を間違ったかバンジョーを弾きたくて…いや、勉強も、だろうな。彼の場合は。
省悟と同じ経営学部だったそうだ。
ま、そんな事はともかく、今日は彼のお母さんの1周忌だという事で、お母さんにまつわる様々な思い出の展示の中でコンサートを、という企画。
そうなればやっぱり「母のお墓」だろう。
これをメインにしてほとんど川俣君と二人で演奏させていただいた。
お母さんも宵々山のジャケット写真に写っている(カーターファミリーの時)くらいにナターシャーの事もよくご存知だったようだ。
バンジョー弾きのアリソン・ブラウンとも親交が深かったと聞いた。
川俣君の影響だろうか、はたまたお母さんの芸術的なセンスが彼に影響を与えたのだろうか。
お母さんの様々な作品を見ていると、ふと思い出した。
僕の母親のお母さん、おばあちゃんか…、彼女は草月流の師匠で、なんやらガラスのかけらを固めた綺麗なオブジェのようなものを良く作っていた。
そして母親の影響でピアノを弾き始めた僕だが、川俣君のところもそんな風につながっていたんだろうな、という思いでナターシャーセブンの歌をいくつか唄わせていただいた。
彼のバンジョーもいい感じでサポートにまわってくれて、流石!京都産業大ブルーリッジの後輩!という感じだった。
きっと彼のお母さんも喜んでくれたと思う。
さて、第2部は増茂米店というところだそうだ。
こちらは普通にコンサート形式。
マスターに無理を言って生音でやらせていただいた。
ちょっと難しいかな、と思いながらもギリギリ行けそうなところはやっぱり生音が好きだ。
それでもかなり響いてくれたようだ。
マスターも初めて生音で聴かせてくれたミュージシャン、というような事をコメントしてくれた。
こちらも懐かしい人が一杯で、僕もナターシャーセブンの最後の生き残りとして精いっぱい歌わせていただいたし、多くの人が一緒に歌ってくれた。
そしてこの日、もう一人の京都産業大出身者が登場。
北欧音楽でフィドルを弾いている、という櫛谷結実枝さんという方が一緒に演奏してくれた。
産業大学トリオの演奏もほとんど打ち合わせ無しにしては…って、ことアイリッシュに関しては打ち合わせなど無いといえるかもしれない。
レコーディングでさえ、急に違う曲をやったりすることが良く有ったので。
でも川俣君も櫛谷さんも良いミュージシャンで、そして何よりも素晴らしい人だった。
米屋のマスターも、1部の会場の方達も、みんな川俣君を、そして彼のお母さんを慕っているようだった。
とても良い想い出を有難う。
集まっていただいた皆さんに感謝します。