師走

そろそろ今年1年を振り返る時が来た。早いもんだ。歳をとると時間が早く過ぎていくようだ、と言う人がほとんどだ。

朝は早く眼が覚めるので、一日が長いようだが、気がついたらもう日が暮れそうな時間になっていることもよくある。

20代では、自分が60代になるなんて考えたこともなかった。とにかくバンジョーを弾きまくっていたものだ。

今のように便利な時代ではなかった。

レコード屋さんで同じ曲を何度もかけてもらい、頭の中で復唱しながらバスで下宿まで戻り、確かこんな感じだった、と何時間にもわたって弾き、また次の日に細かいところの確認のためにレコード屋さんに出向いてゆく。そんな毎日を過ごしていた。

めったにお目にかかれない外タレのコンサートではいつでも、どうやって弾いているんだろう、と興味津々だった。

よく覚えているが、ビートルズのヘルプで、かっこいいリードギターのリフのところを見るために一日中映画館にいたこともあった。それも3日間連続で。

結局、その部分はジョージ・ハリソンの手元がぼやけるような映像であったのだが…。

そんな風に、大きく分けると、フォーク、ブルーグラス、アイリッシュと演奏をしてきて今に至っている。

今年1年も沢山の人たちに支えられ、助けてもらって無事ここまで来れた。

音楽面でいえば、春には北海道でrinkaのおふたりの素晴らしい演奏に触れることが出来た。オートハープのご夫妻には驚かされた。

ひさしぶりに会った北のブルーグラス・フィドラーは、ただならぬブルースフィーリングを漂わせていた。

アイルランドでは各地で独特な演奏を繰り広げる人たちから沢山の刺激を受けた。やっぱり伝承音楽が好きだ。

イベントチックなものにしか興味が無い、と言った日本のアイリッシュ関係者がいたが、僕にはまったく理解できない。

選挙に当選しようと、軽々しい発言をしている政治家と同じレベルとしか思えない。

ところで、今ほど政治家というものがいい加減な存在だと思ったことは無かった。かといって、どうしようもないのだが。

いくら国民が反対しても、いつの間にか彼らの思い通りになっている。気がついた時にはそうなっているのだ。

先日、3・11関連の書物に触れたが、国会の廊下をギャラリーにして、写真展ができないだろうか。

政治家は毎日、震災で苦しんでいる人たち、ひとりひとりの顔を見るべきだ。街角でぎゃーぎゃーパフォーマンスしていないで、基本に戻るべきだが、その基本と言うものが無いのだろう。

間違いなく誰にでも人生の終わりが来る。60も過ぎると、あと20年くらいかな、なんて考えてしまう。

いや、もしかしたら1年先かもしれないし、40年も生きてしまうかもしれない。こればかりは自分でも分からない。

本当は音楽関連のことのみ書こうと思っていたが、1年が終わるということになると、いろいろなことが思い出され、まとまりのないものになってしまいそうだ。

しかし困ったことにこの歳になると、若いときにはとても言えなかった事や、決して言ってはいけなかったことなども、ついつい言ってしまって、若い人から煙たがられるものだ。くわばら、くわばら。

 

今年は秋がほとんどなかったように思う。季節では秋がいちばん好きだ。春もいいが、これから苦手な暑い夏が来ると思うとつらいものがある。

一時期、アラスカに住みたい、と思ったこともあった。それくらい寒い気候が好きだったが、最近は結構寒さも身にしみるようになってきたみたいだ。

大体、暑いだの寒いだの言い始めるのは年とった証拠らしい。確かに友人に出会ったときに「暑くなりましたね。寒くなりましたね」と言う挨拶は若いときにはまず交わさなかったものだ。

しかし日本の四季というものは素晴らしい。春の桜は誰にでも見せてあげたいし、紅葉に包まれてもの思いに耽るのもいい。

そうだ、京都へ行こう。なかなかに上手いキャッチコピーだ。

今年は京都でのライブが最後になりそうだ。63歳の誕生日。

一年の締めのつもりで書き始めたが、全く締まらないものになってしまった。またなにか思うことができたら書くことにしよう。