アイリッシュ・ミュージックにおけるギタープレイその2

久々にケヴィン・バークとミホーのデュオを観た。勿論ユーチューブで、だが。しかしながら、この映像についてはずっと心に残るものがあった。

本格的にこの音楽に取り組みだした1991年のころ、ホームスパンから入手したものだったが、友人に貸したまま今はどこにあるか分からない。

なにはともあれ、まだまだギタースタイルを模索中だった僕にとっては衝撃的なものだった。

ミホーの編み出す音は、どれもこれも完璧だった。フィドルとギターという最低限の編成で、いかに音楽を構成しているのか、穴のあくほど見つめ、寝ても覚めても、1曲目の“ピジョン・オン・ザ・ゲイト”から 最後の“フェアーウェル・トゥ・エリン”に至るまで、その全ての音のうねりが頭の中を巡っていた。

カポタストはゴムのものを使用し、まだクィックチェンジなるものが出る前だったのかもしれない。ほとんどが同じキーの進行で構成されていた。

余談だが、僕らがフォークソングを始めた頃、まだカポタストを手に入れる、という観念が無く、短くなった鉛筆に沢山の輪ゴムを絡ませて作ったものだ。それでも結構いけたもんだ。

そういえば、弦は針金を張ってみたこともあった。最低の音だった。もう50年近く前のことだ。

さて、話しを戻そう。ミホーは僕が最も影響を受けたギタリストの一人であることは間違いない。

もしかしたら、僕自身のスタイルはミホーと、もうひとり、ランダル・ベイズをミックスさせたもの、それからクラシック、大好きなジョー・パスなどが使うコード進行を取り入れたもの、ということが言えるかもしれない。

ジョン・ドイルやドナウ・ヘネシーなどは、90年代半ばにはもう同じ立場に立っていたので、さほど影響を受けた覚えはないが、どちらも素晴らしいギタリストだった。

勿論、去年来日したジョン・ヒックスも素晴らしいギタリストだ。だが、彼らも一様に口を揃えて素晴らしいギタリストだと絶賛するのがミホーだ。

フィドルとギター、という究極の組み合わせは、沢山の楽器を擁する編成のバンドと違って、ある意味とても難しい。

しかし、彼らの演奏は胸が熱くなるほど郷愁に満ち溢れている。それは民族の歴史であり、かれらを取り囲む自然であり、そういうものが音楽という媒体をとおしてひしひしと伝わってくるからだ。

僕らが生活の一部としているアイルランドの音楽。さらに今年からは心して取り組まなくては、という思いにかられる。

ユーチューブというものが果たしていいものかどうかはわからないが、こうして彼らの音を再び聴くことが出来た、というのはとても嬉しいことだ。アップしてくれたモハーさんに感謝。