アイリッシュ・ミュージックと楽譜 2013年1月に思うこと

よく、「あの曲の楽譜ありませんか?」という質問を受けます。タブ譜もしかりです。ブルーグラスでバンジョーを弾いていた時にはタブ譜を読んだり書いたりしていました。実際にピート・シーガーの教則本にフォギー・マウンテン・ブレークダウンのタブ譜があり、それまでに弾いていたものと照らし合わせて弾いてみました。

後にアール・スクラッグスの教則本をみると、1小節目から右手の指使いが違っていました。そう言った意味ではタブ譜というものは参考になります。

しかし、もうそんなものを見ながら弾く余裕も、そんなものを書く根気もありません。当時、映像も何もなく、来日するミュージシャンを目の当たりにする機会も極めて少なかった為にしつこいほどに聴いてはコピーし、また聴いてはタブ譜をつくる、といった作業に明け暮れていました。

妥協は許されなかったのです。あくまで自分自身で、という意味ですが。

時は移り、あれからかれこれ45年ほど、うわー、すごい。(希花談)

今、アイリッシュ・ミュージックを演奏していて、よく楽譜のことを訊かれますが、そんな時僕は必ず「ないこともないけど、耳で聴いて体で覚える。もうこれしかないです」と答えます。

事実、The Sessionというサイトには数千にも及ぶ曲の楽譜が掲載されています。そしてその中のひとつの曲をとってみても、これまでに弾かれた数々のバージョンが存在しています。

僕がこのサイトを利用するのは、20年も前に演奏した曲の最後の小節を忘れてしまった、とか、タイトルの一部を忘れた、とか、そういった時ですが、それでもちょっと記憶とは違うバージョンが載っていたりします。

そんな時には、一旦楽譜をみてから、あの人はこう弾いてたな、とか、このほうが理にかなっている、などと考え、その曲に関する様々な意見や見解が投稿されているcommentsの部分を注意深く読みます。

一緒にやっていたジャック・ギルダーはこのcommentsの常連。

そしてとにかく弾いて弾いて弾きまくって自分の体の中に入れていく。それからそれらの音の進行に合わせたコード創りをかんがえる。

新たに覚えた曲などはそうしてものにしていきます。600~700もの曲を演奏していると絶対に忘れる。そのタイトルも、細かい部分も。

しかしながら、体で覚えたものは忘れにくいものです。それに引き換え、楽譜で覚えたようなものはいとも簡単に忘れてしまいます。

みんながそうではないのでしょうけど、少なくとも僕はそうです。

アイリッシュ・ミュージックはフォームとしてはとても簡単な音楽に聴こえるでしょう。しかしとても難しいものです。そして経験すればするほど、その難しさがいやおうなしに襲ってきます。

そして、その難しさが解ってしまったら…僕らが他人に教えるなんていうことは多分、100年早いことだ、と考えてしまいます。

今日もまたThe Sessionで曲を確認している。まだまだ習うべきことがいっぱいあります。

そしてまた、アイルランドで素晴らしい演奏家たちから沢山の曲を習ったり、想い出させてもらったり、結局死ぬまで習い続けるのかな。

最初、ティプシー・ハウスのメンバーとして迎え入れられた時、とりあえず200曲、彼らのレパートリーをきっちり覚えなくては、このバンドでアイリッシュ・ミュージックをやっています、なんて恥ずかしくて言えない、と必死になったものです。

その頃の感覚はいつまでも持ち続けようと思っています。