ここ40年にわたる日本の音楽事情に思うこと

40年、とはいっても、結局こんなことを思ってしまうのはここ数年のことかもしれない。

70年代初頭から音楽を職業にしてきたが、自分の大切にしてきた希少なタイプの音楽に対する姿勢は崩すことが無かった。

それもグループ(ザ・ナターシャー・セブン)の姿勢であったことはとてもラッキーだったかもしれないし、時代背景というものも忘れてはならないことだ。

当時はもう名の通ったリーダーであった高石ともや氏が、すでにこの国の音楽に対する懐の浅さ、というものをいち早く感じていただけに、僕らは彼と共に他とは違うものを創り出すことができたのだ。

彼の残した功績は計り知れないし、そこに参加できたことは大きな財産であり、また誇りに思う。

最近、ネット社会になって他人の見解などを覗いてしまう機会も増え、また、何気なしにテレビなどを見てしまうと、ずいぶん“すっとんきょう”な意見を述べている音楽関係者もいるもんだな、と感心してしまう。

少し前に亡くなった横森良造さんのことを“アコーディオンという楽器に、ダサいもの、という観念を植え付けたひと”と評した音楽関係者がいた。悪気はないのだろうし、ツイッターという短い文章を作るものだったため、他にも言いたいことはあったのかもしれないが、困ったものだ。

思うことは勝手だが、その道60年にも及ぶ先人のことだ。やはりなにかしらフォローはして欲しいものだ。

また、最近テレビをみていたら、昔デビューしたことがある歌手、という女性が、ご主人のアコーディオン奏者を引き連れて、今一度唄いたい、ということで登場した。

歌もそこそこ上手く、ご主人のアコーディオンプレイもツボを得ていたものだったが、それを聴いたレコード会社のひとりが、こういったのだ。

「とてもよかったです。どこかアイリッシュな雰囲気がして」思わず「どこがや!」とつっこんでしまった。

アイリッシュ的、という言葉が流行っているのかな。あの業界では。

また、公開されたミュージカル映画“レ・ミゼラブル”を取り上げた番組で、かなりの枠を使って作品の素晴らしさを紹介していたが、ある著名人がこう言ったのだ。

「素晴らしい映画でした。涙が止まらなかったです。これを観た後、たまらなくカラオケに行きたくなりました」

番組の終わりに出たコメントで、すべてが帳消しになってしまった。

さらに、出演者が口々に「いいですねぇ、いきましょう。これからいきますか」

あきれてものがいえなかった。ま、そう感じたのも僕だけだったかもしれないし、あまり僕もそんなことに目くじらたてるのもよくないことだろうけど、いろんなところでこの国の音楽事情には失望させられる。

と、まぁ失望してばかりでは仕方ないので、わが道をひたすらいかなくてはならないのだが、支持していただけるひとたちのためにも頑張らなくてはいけない、と思う今日この頃です。