ブルーグラス・ミュージック その2(ブルーグラス・バンジョー)

京都産業大学に入学して、すぐにブルーリッジ・マウンテン・ボーイズに入部(?)した。詳しくは軽音楽部だったかな。

先輩の酒井さんはフラムスのバンジョーを使っていた。時々、みんなで立命館大学に行って、サニー・マウンテン・ボーイズの練習を聴いた。

覚えている限りバンジョーは中さん、マンドリンが新谷君、ギターとボーカルが池田さん、フィドルが赤城さんだったと思う。ベースは亀井さんだったかな。

亀井さんは後に同志社のマリース・ロック・マウンテニアーズでベースを弾いていたような記憶がある。

マリース…もなかなかの面子だった。ギターとボーカルが田川さん(ギターのボディをくりぬいてホイールキャップをはめ込み、ドブロを作ってしまった人)マンドリンに伊藤さん、フィドルとバンジョーに“天才”石田じゅんじ、そしてベースがやっぱり亀井さんだったかな。

とにかく京都ではこの三つのブルーグラス・バンドが競り合っていたと思う。立命の中さんのバンジョーはやっぱりフラムスだった。

荒神口(当時、立命があったところ)のよしやという楽器屋に行くとフラムスが置いてあった。

お店の人に「立命でもこれ使っているよ」と言われたが、どこかドイツ製、というところがしっくりこなかった。

とはいっても、とてもじゃないがギブソンやベガなんて買えるわけがない。よく、梅田のナカイ楽器に、これ見よがしに飾ってある、マーティンD-28とギブソンF-5と、そしてあれは多分ギブソンRB-250だったのだろう。大学から直接、阪急電車に乗って観に行ったものだ。そう、ただ観るだけの為に。

そしてため息をついて帰ってくるのだ。

当時、関西ではフラムスが主流だった。あとは“ケイ”だったかな。この辺のことは以前にもコラムで書いている。

とにもかくにも頭の中は16分音符がいつもぐるぐる回っていた。バンジョーという楽器の魅力は、とくにブルーグラス・バンジョーの魅力はなんといっても、ごく小さな手の動きから生み出される、はっきりした大きな音と、目にも留らぬスピードで繰り出される音の嵐だろう。

手掛かりはレコードだけ。ドン・レノのグリーン・マウンテン・ホップ、ダグラス・ディラードのディキシー・ブレイクダウン、エディ・アドコックのブルー・ベル、ビル・キースのセイラーズ・ホーンパイプ、みんなみんなレコードを聴いて覚えた。

どんなに小さな音も逃すまいと必死になったものだ。少しでも彼らに近付きたくて、友人たちと「ここはこうだな。いや、こうかな?」と夜通し議論しては弾いたあのころは、やはりアンテナを全開させる能力を養う、ということに於いてはかなりためになったのかもしれない。

ブルーグラスはとてつもなく難しい音楽だ。一人ではできない。二人でもできない。三人いても足りない。4人からが初めてブルーグラス、といえるかもしれない。

グループのレベルがある程度揃っている必要もある。アンサンブルの妙というところは肝だ。少なくとも3人以上は唄えなくてはならないし、コーラスができなくてはいけない。

大体バンジョー弾きはバリトンだ。別に決まっているわけではないけれど、マンドリン弾きがテナーというのは、やはりビル・モンローの音楽だからだろうか。セイクレッド・ソングもアカペラでこなせなくてはならない。

バンジョーの話しに戻るが、最近つくづく思うことは、メロディック奏法は難しい、ということだ。

なんとなくロールでメロディを創り出していくものは平和な感じがする。すこしブランクがあってもリカバーできるが、メロディック奏法はイライラしてくる。右指はメロディに合わせて自由自在に動かす必要があるし、それに合わせて左指のポジションも考慮にいれなくてはならない。

ノラ、ビーティング・アラウンド・ザ・ブッシュ、トルコ行進曲…40年くらい前は事もなげに弾いていたが、最近思うことは、2つ以上のことをいっぺんに考えると頭が混乱する、ということだ。

この楽器は頭を混乱させるには“もってこい”のものだ。(多分コンサルティーナもそうかも)更に、ボケの防止には結構いいかも。とにかく一生懸命想い出すための努力をする、ということが一番大切だ、と女医の卵も言っている。

ま、そういったことは、久しぶりにバンジョーを引っ張り出して弾いてみた人にはよく分かるだろう。いや、僕だけかな。

なにはともあれ、魅力的な楽器である。その“とんでもない重さ”というところを除いては。