7月25日 よく晴れていて涼しい。エニスを出て一路ディングルへ。“テスコ”というスーパーでブレンダンと待ち合わせている。
相変わらずパワー全開のブレンダンが「家にサーモンがあるからみんなで食べよう。みんなといっても、もう子供たちもそれぞれ違うところに住んでいるし、俺しかいないけど」と言う。
じゃあご飯でも炊いて久々に塩ジャケでも食べるか。すでに日本食が恋しくなっている。「内緒だけど、海で釣ってきたやつだ」と自慢げに話すブレンダンも、ずっと前からだが結構日本食には興味を示している。
寿司も作ってくれという彼の要望に応えたいが、まず安全性から確かめなくては。一応冷凍はしたようだし、見たところ大丈夫そうだ。後は購入してきた醤油と米酢。のりは彼が前に買ったものがあるといってだしてきたものが、“のり”とは言い難いものだったが、仕方ないだろう。これを使って得意のサーモン・スキン・ロールでも作ってあげよう。
しかし、問題は包丁だ。アイルランドのどの家庭でも、切れる包丁に当たったことは無い。それから最も大事な衛生面だ。
泥んこの靴のまま家の中に入ってダンスをする人達だ。
一応、まな板と呼べそうなものを熱湯消毒し、洗剤で洗って、さらに熱湯消毒し、サラも包丁も洗い直してからでないと病気にでもなったら 大変だ。
まぁ、彼らなら大丈夫だろうけど、なにせ食べつけない食材だし。
白身のチキンのピーナツソース和えと、じゃがいもとアボカドのサラダを添えて、それでも豪華な食事ができた。
今日7時半からDingleの楽器屋さんでコンサートをやるのだ。ダンスもあり、ブレンダンと長男ブリアーンとのデュオあり、店のおやじのアコーディオンあり、僕と希花の演奏ありで、約2時間。
30人ほどのお客さんだが、さすがに地元だ。拍手の大きさが日本での100人規模のコンサートくらいで、みんなにこにこして体を乗り出して、リズムを刻みながら聴いている。
ところで、店のおやじと一緒にフィドルを弾いたのが、かの有名なるフィドラー兼コンポーザーであるMaire Breatnachだと知ったのは次の日になってからだ。そのあとセッションにまで一緒に行ったのに。
12時頃、真っ暗なブレンダン家に到着。山に囲まれた牧草地のあちこちから羊の鳴き声がときおり聞こえてくる。家のあかり以外は辺り一面真っ暗闇だ。
外からブレンダンの大声が聞こえた。「おーい、ふたりとも出て来いよ。ドラゴンがいるぞ」
何事かと思って外に出てみると、つい2時間ほど前に暗くなった空に月があがり、浮かんでいる雲がドラゴンのような形をしているのだ。それでも段々崩れていくその雲を観て大笑いする彼はまるで無邪気な子供のようだ。
しばし、静寂と暗闇の中、空を見上げる3人。時計は1時をまわっていた。
7月26日 晴れ時々雨
8時半に起きてブレンダンが1時間ほど走ろうというので、勿論!と言ってついて行った。希花さんはまだ夢の中だ。
羊の糞を踏みながら、大西洋を見下ろす丘を越え、山を目指す彼はこのコースを走り慣れているのだろう。こちらにとっては山登りという感じだ。
よく晴れている大空と広大な大地。人ひとりいない草原とそびえたつ山。眼下には大西洋の波が岩肌にしぶきを当てている。
僕らの愛してやまない音楽が生まれたところだ。
戻ってきてシャワーをあびると、半ズボン一枚になったブレンダンが「さぁ、山に音楽を捧げるぞ」と言って、やにわにアコーディオンをかついで裏庭に座った。
ちょうど正面に山がある。そこに向かってエアーやポルカを弾くブレンダン。こんなシーンを見てしまうと、やっぱり生半可にこの音楽は出来ないな、と思ってしまう。
その騒ぎに希花さんも起きてきた。ちょうどよい。このシーンは絶対に見ておくべきだ。日本から来るアイルランド音楽を目指す人達の多くが触れることのできないシーンかもしれない。そしてもっとも大切なシーンのひとつだ。
昼から3人でディングルへ出かける。コーヒー・ショップで地元の人達と会話に興じて家に戻り、晩ごはんの最中にとんでもない計画が持ち上がった。
3人でボートにのって海に出ようというのだ。ボートは庭に置いてある。よく観光地で湖に浮かんでいるくらいのおおきさの、もっと頑丈そうだがボロボロのやつだ。
「ここに二人分ライフジャケットがあるから着けたらいい。じゃいくぞ」ちょいちょいと車に接続していざ出発。希花さん恐怖。
船着き場でウエットスーツを来た彼の友人が写真を撮りたいから一緒に乗せてくれるか、と尋ねる。プロのカメラマンらしく、水平線の写真を撮りたい、と言うのだ。
「3人乗りで4人乗った試しは無いけど…」といいながら小さくて細い希花を見て「大丈夫だろう。そのかわり絶対に立ちあがらないこと、重心は常に真ん中だぞ」と言って船を出す。
希花さんぴゃーぴゃー。ブレンダンは物凄い腕力で沖を目指す。「ブレンダン!もういい!ここで充分!もういい!」とひたすら叫び続ける声を無視して沖へ沖へと。そろそろ海も暗くなりかけているが、まだまだ美しい空と水平線がきれいに見える。波はそれなりにある。僕のうしろからぴゃーぴゃー声が聞こえる。
ブレンダンが糸を垂らすと、あっという間に30センチほどのたらが釣れた。慣れたものだ。さぁもっと行ってみよう、とブレンダン。ぴゃーぴゃーはさらに大きくなる。
カメラマンが希花に水平線を見れば絶対に酔わない、と教えてくれる。遠くに見える岩肌なんか見てると酔うから、とにかく水平線を見ていなさい、と。少しぴゃーぴゃーが治まった。
段々暗くなってきた。雨も少し落ちてきた。やっと帰る気になったブレンダン。船着き場に到着すると先ほど釣れた魚を不器用に3枚におろしアイスボックスに入れた。明日、娘のクリーナに会うからこれをクックして食べさせると言うのだ。良かった。これで寿司を作ってくれと言われなくて。
しかしこれもいい思い出になった。希花さんにもそうだろう。ここからも力強い音楽が生まれているのだ。
アンドリューからメッセージが入った。8月11日、フィークルのペパーズでギグらしい。彼のメッセージはいつも短い。
じゃ、その日か前の日に会おうぜ、と僕も短いメッセージを送って眠りに就いたが、まだ体が揺れているようだ。
7月27日 晴れ時々雨
11時からレコード店(前日とは違う所)でちょっとした店の宣伝を兼ねた演奏を3曲やってそれを撮影させて欲しいという店主のおばちゃんの要望があり、出かけて行った。
ちょうどエニスのカスティーズでの撮影のような、もうちょっとそれよりも店の宣伝ぽい感じだが。
11時からと張り切って言っていたおばちゃんは11時半になっても現れない。「いつもこうなんだよ」とブレンダン。そういえば彼は時間には正確だ。
やっと来たおばちゃん。「さぁ、始めましょう。タイム・イズ・マネーよ」ここはつっこむところだ。「あんたが言うか!」
無事終了のあと、今日は4時からシェーマス・ベグリーの息子でコンサルティーナ奏者のオーインとの演奏がSmall Bridgeというパブである。
そのあとはブレンダンの長男ブリアーンとオーインがシェアーしているアパートに泊めてもらうのだ。
コンサルティーナ、フィドル、ギターの三人の演奏は心地よい。オーインもかなりの腕前だ。3時間ほど演奏していい気持になり、戻ってから豚の生姜焼きを作って「トンとご無沙汰」なんていいながら食べて、気持ちよく寝ていたら、11時ちょっと前にブリアーンから電話。慌てた様子で「Mighty Sessionというパブに今から行って希花とふたりで演奏してくれ。今日オーインとやったところの隣だ。金はちゃんと出る。いますぐ行ってくれるか?」
慌てて「なんだかよく分からないけどギグらしい」と希花を起こした。歩いて10分ほどのところだ。雨が結構降っているがなんとかなる。
行ったパブは結婚式のアフターパーティでもしていたのか、30人ほどの若者が思い思いのコスチュームで大騒ぎしている。
バーテンダーに「おい、まさかここでやれっていうんじゃないだろうな」と聞くと「ま、ここでだ」と向こうも悪そうに言う。
「状況を見てから早く帰ってもいいぞ」というので「金は出るんだろうな」と確かめて取りあえずスタートする。
奥の30人程は大騒ぎしているが、手前の人達は興味を示してくれている。しかしこんな状況なのでオーナーが1時間で開放してくれた。それでもお金はちゃんともらえた。Co.Kerry最後の夜、またまたあまり出来ない経験ではあった。