2013年 アイルランドの旅 フィークル~タラ(最終回)

8月11日 晴れ

今日こそはフィークルに行かなくてはいけない。もともとフィークルも大きな目的の一つだったのだが、他で沢山の仕事を得たので、結局最終日だけになってしまった。でも今日はアンドリューと一緒だ。きっといい一日になるだろう。P8110457

昼からRingoがCoole Parkに連れて行ってくれた。クールパーク(日本語表記)は自然保護地区に指定されている、素晴らしく広い公園だ。

元はグレゴリー邸と呼ばれていた個人の持ちものだった。W.Bイエィツや、ショーのサインが刻まれている「署名の木」は有名だ。P8110461

しばし、深い緑に囲まれる。サーッと雨が降り、そしてまた止む。全てがゆっくりと大自然の営みを楽しんでいるように感じる。

僕らも、マフィンと紅茶で時を過ごした。

 

 

そしていざ、アンドリューの待つフィークルへ。セッションは3時からだが、どうせそんな時間には始まらない。

アンドリューを探す。ちょうど日本人の女の人が二人歩いていたので「すみません、アンドリュー・マクナマラ見ませんでしたか?」と尋ねたが、なに、この人、というような顔をされた。彼女達何しにここまできているんだろう。

でも考えたら知っている可能性はごくわずかだ。無理もない。

僕らが演奏するPeppersというパブは、人、人、そしてまた人でごった返している。もちろん、このフェスティバルの間じゅうフィークルに4つしかないパブは大賑わいだ。

この1週間でこの村はもっているのかもしれない。

去年まで、僕等はフィークルでのフェス参加をメインにしていた。ここに来れば長年の友人達とも会えるし、クレアーという、音楽の聖地の伝承者たちとも演奏ができる。

しかし、今年は毎日のように演奏をお金にすることができた。これは正直素晴らしい事だと思う。お金をもらって演奏する、ということがどういうことなのかを40年の間学んできたのかもしれない。

セッションに出て、みんなと一緒に知っている曲を弾き、知らない曲を学び、というのもこの音楽の基本だ。

そんななかでも多くの人達、バンドなどがアイリッシュ・ミュージックを世に広めるために、或いは商売としながら世界の様々な場所に出て行っている。

どちらにせよ、基本、この音楽は伝承であり、伝統をきちっと守らなくてはいけない。そのうえで独自の音を提供するのだ。

それを心がけていると今回のように“トラッド・ミュージシャン”としてあちこちから声がかかる可能性が生まれてくる。

僕らもこの国でそんな存在になりつつあるのかも知れない。

アンドリューも一時期より更に激しく(いい意味で)なってきたようだ。やりたくないことを頑なに拒んできて、その結果爆発しているのだろうか。彼のプレイはおもしろい。ブルース好きのアンドリューはB.B Kingが顔でギターを弾いているのと同じように顔でアコーディオンをかき鳴らす。P8120472

まるでいたずらっ子のように「見てろよ、いくぞ!」というような合図を送り、強烈な不協和音を破裂させる。

そんなアンドリューの横でRingoがひたすら正確にリズムを刻む。時としてあまりに同化していて聞こえず、はっとした瞬間に“ドスン”とお腹に響く。P8120473

まさにDavid Lindleyと一緒に演奏した時のWally Ingramもそうだった。決して出しゃばらず、的確に音楽のハートを掴むのだ。

Ringoは7時くらいにGalwayに戻った。今年は彼にだいぶお世話になった。できれば、彼とアンドリューを一緒に日本に呼んでやりたいが、いいギグを見つけてやれることができるだろうか。

セッションが終わってもアンドリューは暫くここで飲んでいくようだ。僕等は彼の家の鍵をもらい、赤嶺君と一緒にフィークルを出た。

真っ暗な田舎道をひたすら走ると、タラのメイン・ストリートに出る。赤嶺君とも再会を約束してアンドリューの家に入って、暫しソファーで落ち着いてまわりを見回した。すると、不思議な感覚におちいった。

まるで故郷に帰ってきたようだ。1991年、この家から出てきた男と知り合いになり、2000年、この家で2週間過ごしながら、2人でアイルランド・ツアーをし、それから事あるごとにここに寝泊まりしている。

僕のアイリッシュ・ミュージックのルーツがここにある。

そして、今晩、ここに泊まることを決めたのにはもうひとつの理由があるのだ。それは、フランのパブに行くことだ。(2012年 アイルランドの旅 8月7日 タラ 参照)

彼も、もう13年来の顔見知りだ。必ず顔を見に行くことにしている。85歳にもなるし、いつまでお店があるかもわからない。

10時半、正装したフランが店を開ける。僕等が入っていくと「やぁ、よく来たね」とギネスをご馳走してくれるが、僕等はそんなに強くないので、これが限度だしお金は払うから、と言っても受け取らない。

遠く日本から来て、必ず健康でいるかチェックしにくることが彼にも嬉しいのかもしれない。

あと10年くらい続けて欲しい。そしたら、立派なお医者さんになった希花さんが付いてくれるだろう。

2013年のアイルランドの旅はこれでおしまい。明日ダブリンに戻って、それから日本に帰るのだ。

心の故郷、そして音楽の故郷、タラの夜空に星が光っていた。P8120474