アイリッシュ・ミュージック ギター・スタイル 代理コード

日本語でいうと代理コードとなるがsubstitution chordといわれるもので、この音楽ではあまりいい意味では使われない。

メロディをよく聴かずに自分のためにだけギターをかき鳴らすタイプの人達がよく犯す間違いだ。

ジョン・ヒックスくらいでないとなかなか言ってくれないが、もし良く分かっていないのなら、アイリッシュ・ミュージックに関わるべきではない。

リード楽器の演奏を注意深く聴きながら、この音に対してはこの和音を使うべきではない、これは許されるだろうが彼(彼女)は好きだろうか、などと考え、相手の出方を見る。

先日、久々にデイル・ラス、そしてトム・クリーガンのトリオで演奏したが、半分ほど知らない曲や、聴いたことはあるけどやったことが無い曲、というものがあった。

そんな時はひたすらよく聴くのだ。例えばAパートを聴きながら彼らのリズムと音の進行を聴く。もし、聴いたことのない曲だと、Bパートで5度にいく可能性もあるし、更にCパートもDパートもあるかもしれない。とても危険だ。

ただほとんどの場合Bパートを聴けば、その次にどういうメロディがくるかの予想はつくが、多くの人はこういう時、訳も分からず代理コードを使ってみたりする。

和音(コード)は、使ってみたりしてはいけないのだ。

そこに確固たる理由がなければいけないのだ。

僕はKid on the Mountainという曲の4パート目にAmを使う。キーはEmだ。これは普通のチューニングでは得られないDADGAD独特の響きを利用する。

しかし、今回のトリオではパイプがいる。その場合ドローンが存在するから、もしかしたらAmが邪魔になるかもしれない。ただ、ここでAmを使うことで4パート目からぐっと違う世界に持って行くことができる。もしここでEmを使うならばビートの打ち方を変えたほうがよいかもしれない。その方が曲にメリハリがつく。

そんなことをこの曲が始まった時から考える。

僕はほとんど全ての曲でこんなことを考えている。

今回のMorning DewではA7(代理コード)は使わなかった。いつもは3回目に使うが、このトリオには合わないかもしれない。そう思ったら自分の満足のために使うべきではないのだ。

とことんEmで彼等と共通の世界を創り出す。そのことに専念すべきだ。

日本で人気のあるギタリストはジョン・ドイルとドナウ・ヘネシーだろう。彼等はとてもいいギタリストだが、なぜか彼らをフォローしている人達の多くが勘違いをしている。

彼らのスタイルは決して代理コードいっぱいの適当ギターではない。ひたすらかっこいいが、実によく計算されている。

ギタリストはギターを置いて、今一度Michael Coleman  James Morrison  Seamus Ennis  Patrick Touhey  Paddy Killoran  Joe Cooleyなどの演奏に耳を傾けるべきだ。